nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

詐欺師とは

たまたまいつもの四、五倍数字を伸ばした私に向けられたのは拍手喝采

とはいえ、ここ最近は波があったし数字が出せない時の空気感を痛いほど味わっているので『別に』という感じだった私。

コイツ等、私がたまたま成績良かった日だけ寄ってきやがって。

ちょっと前の私なら、プロントで祝杯を挙げていたはずだ。

しかし、食材宅配サービスで買った品物が冷蔵庫の中に入っていることを忘れはしなかった。

ぐーぐー鳴っている腹を抑えて帰宅した。

作ってみたものの、実に食べ足りない。

おにぎり一個くらい行けそうだが、我慢に至った。

それもこれも、仕事は毎日振りだしに戻るからだ。

食べ過ぎだの飲み過ぎだの言っていられない。

コールセンターの仕事を始めて唯一良かったことは、酒量が減ったことだ。

二日酔いで行って、後悔するのは自分だからだ。

介護の仕事をしている時は、休みの日は朝から赤ワインを飲んでいたと云うのに。

最近調べていないが、肝臓の数値など見事に下がっているだろう。

 

 

そういえば、気づいてしまったことがある。

私って女上司に声を掛けられたのをいいことにカラオケの練習までして、今月の社内飲み会誘われてないじゃん!

確か、来週の月曜日なはず。

それに気づいた時、先日の一人カラオケが無性に虚しく、これだから私ってヤツは騙されやすいのだと思った。

四十過ぎていい歳こいた女が、会社の飲み会を楽しみに営業成績を上げることに励むなんて聞いたことがない。

どんだけ寂しい女なんだか。

昔、こんなことがあった。

 

「橋岡さんが頑張りすぎるのは寂しい人間だという証拠だろ?」

 

いやいや、そんなことはない。

目の前にあることに全力で取り組むことの重要性を熟知しているだけに過ぎない。

むしろ、目の前のことを蔑ろにするヤツは天が味方してくれないのである。

書くというとてつもなく貴重な天命を授かった私が言うのだから間違いない。

未だにパートナーに巡り合えない私が言っても説得力に欠けるかも知れないが。

もしかしたら絵描きが絵を描いたり、ミュージシャンが歌うこと並みに文章を書くということは貴重なことかも知れない。

プロからは馬鹿にされる以前に、眼中にもないだろう。

それでも書くことへの誇りだけは持っていると私は言いたい。

 

「橋岡さんが頑張りすぎるのは寂しい人間だという証拠だろ?」

 

だとしたら、私は寂しすぎるから書いていることになる。

一概に言えないが、恐らく寂しくなくなっても書くと思う。

書くことを否定するような人とは付き合わないし、仲良くするつもりもない。

金にもならないことに対して一生懸命になれる私を尊敬するくらいじゃないと関係性は成立しない。

確かに職場の仲間への愛は、寂しがり屋の裏返しかも知れない。

だったら愛に溢れた人は、皆、寂しい人間なのだろうか?

私が一番胡散臭いと思うのは、愛を商売にしている連中である。

愛に飢え、真剣に愛を求める人間から金を奪おうとする奴等だ。

こちらの真剣な問いかけに対して金をちらつかせる手段には、私はもう騙されない。

それよりは『商品』を売る私の方がよっぽどマシだと思う。

コールセンターなんて詐欺だと言われたことも多々ある。

しかし、てめえらは寂しさや人間の不安を『商品』に変えている詐欺師だろうが!と言いたい。

何に価値があり、人は何に価値を見出すのかはわからない。

人それぞれだし、個人差の大きいものでもある。

何を『商品』とするかもその人の価値観に所以する。

ただ、いちいちそんなことで金取るなよ!みたいな人もいる。

結果的にはそういうヤツが一番寂しい想いをすると思うけどね。

誰からも信用されないからだ。

強いて言えば、そいつの『商品』で利益を上げたヤツだけが、そいつに群がるだけだろうに。