nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

素直じゃない強がり

疲れた身体に流し込むようにハイボールを飲んでいる。

頭の中ではホルモンが食べたかったのだが、週末ということもあって、どの店もいっぱいだった。

街中も人で溢れていたが、いつものプロントは空席が目立っていた。

とても寒い一日で、格好を付けずにダウンジャケットを着てきて本当に良かった。

それにしても、この疲れは寝不足だと思う。

今日は早く寝たいと思いながら真っ直ぐに帰らなかったのは、あまりにも空腹だったから。

食べたらすぐにこの店を出よう。

 

 

人間ってなかなか素直になれない生き物だし、考えていることを悟られまいとして生きているのかも知れない。

こうして書いている私でさえ、本当に考えていることなど誰にも言っていないし、わかってもらえるはずもないと思っている。

職場などその最たるもので、仕事が終わってどこにしけ込んでいるのかなんて絶対に言いたくないのである。

私が日頃、何を考え、どんな想いで生きているのかなんて知られてたまるかとすら思う。

友達にすら言っていないことの山だというのに。

だけど、今日ホルモンが食べたいと思った時、誰か一緒に来てくれないかなぁ〜などと思ったりした。

勿論誰にも言わずに黙って会社を出た。

そのくせ、私ですら『情熱ホルモン』は一人で入りにくい雰囲気だった。

結局、プロントで一人、これを書いている。

疲れてるし、下手に誘ったりしなくて良かったな、なんて。

 

 

何となく人恋しくなったりするのは、何度も言って恐縮だが、心の中に決まった人がいないから。

そう考えると、私も弱いよなと思ったりもする。

それともそんなものなのだろうか?

自由でいることに浮かれている時代は終わり、誰かが待っているところへ駆けつける生活に憧れたりする。

自由すぎる自由には飽きがくるようだ。

ここまで来ると、自由な人が可哀想に見えたりする。

それって私のことだろ!

私って何のしがらみもなさすぎて、ちょっと哀れ。

例えば、仕事が終わったら彼氏から電話が来るぐらいの束縛があってもいい。

また、たまには待ち合わせがあってもいい。

それらがなく、毎日ふらふらしている私は自由すぎるんだってば。

心が落ち着いたら、ケロッと変わって、毎日直帰し、部屋の中も綺麗になりそう。

街が必要なくなるのかも知れない。

 

 

まぁ、そんな話はいいとして、やっぱ桜が見たいかも。

こうして仕事ばかりしていても、今年は桜を忘れなかった。

日中は見れないだろうから、夜桜になる。

今月は十一連勤があるが、たまには早く帰らせてもらって、桜でも見に行こうかな。

 

 

ん〜やっぱり人間って素直じゃない。

寂しい時寂しいと言える私はまだマシで、あらゆる手段で自分の寂しさを伝えようとする人もいる。

そういう人に限って、寂しいとは一切口にしない。

あたかも私に原因があるかのようにして、ただ寂しいだけのくせに、私を試そうとする。

どんなに百戦錬磨の私だって、若干イラッとしてしまう。

疲れているんだから、そういう面倒くさいのやめてくれないかなぁ〜。

まぁ、今更人間が変わるわけでもなく、単に構ってちゃんなのだろう。

 

 

人間が持っている寂しさや嫉妬心や見栄はとにかくわかりづらい。

素直に言えばいいのに、なかなかそういうわけにも行かないようだ。

なんで?

それらがかっこ悪いと思っているからだろう。

素直になれない方がかっこ悪いと思うけど。

自分の中に偏った美学を持っている人こそ、そのような思考に陥るのかも知れない。

わかりやすく言えば強がりってやつだ。

そう考えると、私は強がっている時は強がっていると言えるだけマシかも知れない。

それが、承認欲求の強い構ってちゃんだと思われてもね。