nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

運命の分かれ道

人生に於いて、失敗などという文字はないのかも知れない。

多額の金が掛かり、一見すると詐欺に遭ったとされるようなことでも、あの時のあれがあったから今こうしていられるなどと思ったりする。

勿論、中には大失敗などと思うこともある。

だが、大した損失ではないことも事実。

今、一人で暮らしていられるということは、さほど痛手でもなかったわけだ。

何故、人々は頑なに、損をしないように、騙されないようにと怯えるのだろうか。

私が世の中を知らなさすぎるのかも知れないが、本当に怖い人間なんて稀である。

様々な事件があり、犯罪が後を絶たない世の中ではあるが、彼らに共通していることは私達と何ら変わりはなかったりする。

根源にあるものは『愛情不足』なのではないだろうか。

私などは、歩く天然記念物なので、愛情希薄の家庭で育ちながらも汚れき心を維持することができた。

私の著書である『破壊から再生へ』などを読んでくれた方は、このように仰る。

 

「蓮さんは地頭が良いから善悪の判断ができた」

 

確かにそうかも知れないが、私と犯罪者に共通していることは、『極端な繊細さ』だと思う。

中学生の頃、私は自分を呪っていた。

そして、両親さえいなければ、私は楽になれるのにと思い込んでいた。

きっと両親がいなくなっても泣かないはずだ。

両親だって私がいなくなっても泣かないはずだと。

いっそのこと私と両親のどちらかが消えてしまえばいい。

私が死ぬか、両親を殺すか。

本気でそういうことを考えていて、何十冊ものノートに想いを吐き出していた。

ところが、私はそのどちらも実行しなかった。

何故なら、弟がいたからだ。

弟にとっては大事な両親だったからだ。

明らかに私の中にあったのは、弟への『愛』である。

ただそれだけだった。

つまり、弟という愛すべき存在がいなかったら、私は今この世に居なかったかも知れない。

守るべきものがあるとはこういうことを言うのだろう。

 

 

結局私は実家を出ることにした。

一人暮らしの寂しさは想像を絶するものだった。

あんなに憎かった家を飛び出してきたにもかかわらず、一人で暮らすというのは耐えがたかった。

それから私は何者かに吸い寄せられるかのように急降下し、廃人同様の生活を送ることとなる。

今だって一人じゃないか。

何故、一人暮らしに耐えられているのだろうか。

恐らくそれは毎朝五時の投稿を軸にしていることと、皆が新作を待ってくれていると信じる心だ。

楽しみにしています、という言葉を鵜呑みにし、せっせと執筆、編集作業に当たる。

そうやって、急降下してしまう自分にブレーキを掛けていることに他ならない。

皆が楽しみに待ってくれている!それだけではない。

『書かねばならぬ』

その想いだ。

結局、やるべきことが明確なので、ブレずに済むという話。

そして、一人でいながら『愛情不足』を感じないのは、こうして読んでもらっている実感があるから。

仮に誰も読んでいなかったとしても、自分の可能性や未知なるものを信じる強さを、今なら持っている。

何が言いたいかって、限界スレスレの道を歩んでいるということだ。

そんな私にとって、書けなくなるのが一番辛いこと。

最近は、感受性を失わないようにすることに全力を注いでいる。

そして忘れられないように、飽きられないようにと考えている。

そのためにできることは毎日今迄通り五時にアップして、年一冊作品を発表することだと思っている。

それを止めた途端、何かがガタガタと崩れ落ちそうな気がする。

それはそれは恐ろしいことだ。

金銭的なことを心配し、作品発表を待った方がいいと言う方もいらっしゃるが、無茶してでも年一冊作品を発表する理由というものがある。

急降下しないために現状維持が必要で、それがなければ飛躍などできっこないからだ。