nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

自分の優しさとは

昼飲みから帰ってきてパソコンに向かっている。

珍しく酔っていない。

そこそこの量は飲んだのだが、しっかり食べたことと、ハイボールウイスキーが薄めだったことが良かったのかも知れない。

四軒はしごした割には、ほぼ素面でこれを書き始めることができている。

埼玉県はとても暑く、キンキンに冷えた生ビールがめちゃくちゃ美味かった。

ただ、白子ポン酢やあん肝、ウニの軍艦を頼んだのに日本酒を飲む勇気はなかった。

日本酒を昼間からカパカパ飲んでいたら、今頃パソコンに向かえなかっただろう。

楽しい時間はあっという間。

天気にも恵まれて、実に充実した一日を過ごすことができた。

ただ、連日の寝不足でお肌が荒れ気味なので、これを書いたら即寝ようと思う。

 

 

自分の優しさを表現するのって難しいかも知れないということに気づいた。

自分で自分の優しさを説明できる程私は大人じゃない。

説明するとしたら、第三者の存在が必要になる。

解り易く言うならばエピソードがあった方がいい。

私は友人達から、たまにこんなことを言われる。

 

「蓮さんは優しい人なのに、強気な姿勢ばかりを見せて損をしているように思う」

 

古くからの友人達は、私の意外な一面についても理解してくれているからこそ友達付き合いが続いているとも言える。

他人や愛犬と暮していた時などは、エピソードが山のようにあるから、私の人間性も文章に出やすかった。

しかし、一人でいると、知らぬうちに気を張っているのでついつい強気な発言をして自分にゲキを飛ばすようになる。

何度も何度も言っていることだが、本当は家庭的な愛情に飢えているクセに、一人でいいんだと言い聞かせている節がある。

 

 

三者との接点と言えば、介護の仕事になるだろう。

ある程度優しさを持って利用者さんに接しないと成り立たない仕事。

数ヶ月この職場にいて思うことは、優しさなんて当たり前なのだ。

決して特別なものじゃないし、美徳でもない。

むしろ、常識と言ってもいいかも知れない。

あのスタッフさんは優しいわよね、なんて評価はどこにもない。

当たり前であり、利用者さんに優しくできない人はそもそも務まらないからだ。

当然ながら、全てのスタッフが優しいと私は思う。

しかし、彼ら彼女らは、常識的に仕事をしているだけなのだ。

 

 

 

そもそも自分の優しさなんてよくわからないものだ。

他人が判断することであり、自己評価するものではないと思っている。

私などは、自分のことを冷たいよなと感じることもある。

どういうことかというと、あまり深入りせず、一定の距離感を保とうとするからだ。

面倒見も悪いし、中には蓮さんは他人行儀だと思う人もいるだろう。

私としては、お互いがお互いに迷惑をかけない間柄でないと交友関係も恋愛も上手く行かないと思っている。

信頼関係を築く上で、最も必要なことは依存しないこと。

あくまでも私の場合だが、相手に百人友達がいても、私は一人でいいというタイプ。

友達が一人しかいなくても、決して依存しない。

心のどこかで迷惑をかけてはならないとブレーキを掛けているのかも知れない。

そんな私のスタイルは、人に依っては心地よく、また別の人に依っては物足りなかったりするのだろう。

 

 

たまにこんなことがある。

異性が苦しんでいて助けを求めていることをわかっているのに敢えて見て見ぬ振りして距離を縮めようとしない。

何故か?

距離を縮めても、最後まで面倒を見る責任が取れないからだ。

無責任な行動はどうしても取れない。

かといって苦しんでいる人に手を差し伸べないのは薄情なのではないか?

私の考えはこうだ。

無闇矢鱈と手を差し伸べればいいという問題ではない。

極端なことを言ってしまえば、惚れさせるつもりがないのなら優しさなんて無駄だと思っている。

そうやって見殺しにしてきたかも知れないと振り返って思う。

ある意味、私の優しさを説明するならそういうこと。