諸々用事が済んで時間を潰している。
午前中病院へ行き、その足で激安ニットを買った。
たったの五百九十円だ。
しかも念願のピンク色だ!
即買い!!
試着なし!!
迷うことなく、他の人に取られる前にレジへ向かった。
大満足である。
最高のストレス発散になった。
GUへ行ったのだ。
冬服だが、春も着れそう。
早く着たいよ!
軽くランチを済ませて、ドトールで本を読んでいた。
しかし、あまりにも落ち着かずに出てきた。
時間制とか、生意気なことを言うからだ。
まぁ、ドリンク一杯で居座られたら困るのはわかる。
とにかくまだ時間があるので、駅中のベンチでこれを書いている。
整骨院へ行くまでに、あと一時間半もあるよ。
たまにはベンチで書くのも良かろう。
目の前を通り過ぎる人々には目を遣らず、ただ黙々と画面を見続ける。
昔は人目が気になって、この手のことができなかった。
自意識過剰だったのだ。
今なら何だってできる。
書く手を止め、黄昏れることもできる。
私を見ている人なんていないんだから。
店に入っても落ち着かないし、しばらくこのベンチにいよう。
大して金を持ってなくて良かった。
あったら買いまくるところだった。
これを書き終えたら軽く本屋さんにでも行こうか。
私は彼の恋愛小説のみが好きである。
それも恋ではなく「恋の不可能」について書かれたもの。
個人差があるから何とも言えないが、同性愛恋愛小説は好まない。
自伝的小説も読まない。
私にとっては、恋愛小説の中だけに生きていて欲しい人である。
しかも、肩の力を抜いて書かれた作品が好きだ。
そう考えると、その作家が好きでも全てが好きなわけではないということが往々にしてある。
『走れメロス』や『限りなく透明に近いブルー』があまり好きではないようにね。
代表作品だからといって自分に合うとは限らない。
それも踏まえた上で、新作を書いている。
好き嫌いは別にして、誰もが面白さを認めるような作品にしたい。
最近は一人の時間の使い方、過ごし方がテーマなように思う。
家にいてもどこにいてもソワソワ。
それなのに駅中のベンチは案外落ち着くのは何故だろう。
雑踏の中では自分を消すことができるのかも知れない。
居心地の良い場所とは、その日の気分で決めてよいのかも知れない。
時には電車の中、時には駅中のベンチ。
寒くなければコンビニの前だったりするかも知れない。
孤独とは自由とセットである。
自由でいる分、圧倒的に孤独。
しかし、それを使いこなせばこんなに心地の良いこともない。
孤高に生きるもの同士が互いに認め合う世界になれば、もはや寂しさすら感じなくなるかも知れない。
孤高に生きることに誇りを持ち、高め合って行けるなら最高じゃないか。
そんなことを考えて家に帰ったら友達が連絡をくれた。
「蓮さん、これから会えませんか?」
キター!!!
大急ぎで駆け付けた。
駅までの道のりは普段なら億劫なのに、あっという間に着いた。
嬉しくて隣町まで飛んで行った。
そして軽く飯を食べてきた。
忙しい中誘ってくれたことが心底嬉しく、短時間だったがさっきまで『孤高』について考えていたことが少し恥ずかしくなった。
恐らく心配してくれたのだろうと思うと、申し訳ない気持ちにもなったが嬉しさの方が上回った。
帰宅してこたつに入ってみると、正月の発狂寸前な私はもういなかった。
お陰様で救われたみたいだ。
もしかしたら私が誰かに照らされているように、私も誰かを照らしているかも知れないなんて思った。
私とは全く違うタイプの人でも、私のある部分に共感したり自分を照らし合わせたりしてね。
大丈夫、私は自分を信頼している。
そう思うことができた。