nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

リスクがあっても

飲み会ではなく、単純に銀行へ用事があったので浅草へ行ってきた。

確かに暑いが、そうでもないような気がした。

浅草という街は、人が大勢いるから埋もれることができる。

我が家から浅草まではさほど遠くもない。

しかし、近くもないような気もする。

よく浅草の帰りに帰り方がわからなくなる。

先日も酔っていて、三時間くらい浅草と上野の間を行き来していた。

理由はわからないが、真っ直ぐに帰れないのである。

今回もわけがわからなくなって、駅員さんに訊いてしまったほどだ。

とはいうものの、浅草は滅多に行くことは滅多にない。

最近は専ら北千住や上野が多いかも知れない。

地元駅周辺でうろうろすることも少なくなった。

母さんに買い物を頼まれているのだが、それも行けないまま。

そんな中、浅草で用事を足せて良かったと思っている。

 

 

最近感じることがある。

縁の繋がりと、縁の切れ目だ。

私はこう見えて、幼少時代に転校生だったこともあって刹那的な一面がある。

博愛主義者のようで、どこか冷めた部分もある。

ふとした出来事をきっかけに、愛情が消え失せたりすることだってある。

逆に温めてきた愛情が一気に花咲くこともあるのだが。

その時の判断基準は、愛おしいかどうかである。

まぁ、当たり前の話なのだが愛おしさを感じたらその人を大事にする。

逆に嫌悪感を抱いたら、どんなリスクがあってもバッサリと切ってしまったりする。

あ、この人は不必要な人なんだと瞬時にわかるのだ。

そういう私の姿を見て、薄情だと言う人は大勢いる。

だけど私はソイツ等に言ってやりたい。

薄情ではなく、白黒ハッキリしているだけなんだと。

もしくは、刹那的である。

薄情だと思われようが、どう思われようが、縁の切れ目を感じたのは事実なのだから。

向こうから離れて行く場合もあれば、こちらから遠ざけてしまう場合もある。

そこだけに目を遣り、私を責める人はたまにいるのだが。

しかし、出会いあれば別れありと云うのは本当だなと思うこともある。

逆に言えば、別れたからこそ出会いがあったわけで。

そう考えると、別れるタイミングを決めることが、いい出会いを引き寄せることにもなると思う。

つまり、別れを決断しなければ、出会いは来ないって話だ。

ある人のたった一つの言動で左右されることもある。

私の場合、ごく僅かだが予知能力みたいなものもある。

小説『ロックンローラー』を発売したことで大きな流れが変わるという風に予想していたような気がする。

それだけの覚悟を以て行ったことだから、何もかもに変化が訪れてもおかしくない。

何となく見えなくなってきたのかも知れない。

既存のものの必要性が。

普遍的なものは別にする。

極めて純粋なものも別にするが、白黒ハッキリしてきたんじゃない?

ここで言う普遍的なものや純粋なものとは、小説『ロックンローラー』を

読んでくれて感動してくれた方のことを指す。

もう、何かの枠組みが無くたって、私たちの関係は成り立つよね?みたいなね。

こんなに抽象的な言い回しをしても、誰にも伝わらないことはわかっている。

しかし、ズバッとも言えないし、黙ってもおけないし。

何となくではあるが、もう答えは出ているように感じる。

こんな言い方しかできなくて、ゴメンよ。

まるで離婚する前の私のようだ。

答えは出ているのに決断一つし切れなくて、モヤモヤしている感じ。

 

 

さてさてラスト。

この世には私の知らない楽しいことが沢山あって、むしろ、今の段階で知っていることの方が圧倒的に少ないとする。

新しいものを取り入れるためには、視野を広く持たなきゃダメだよね、って話。

カーッ。

物事、上手く行かないかなぁ。

これ、また言ってもいいかな?

 

「天は自ら助くる者を助く」

 

結局これしかないんだよな。