nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

早朝からの考察

早朝からこれを書いている。

なぜならこれから出掛けるからだ。

帰ってきてバタバタしたくないので、先に書いてしまうことにした。

外は快晴らしいが、カーテンを開けていないのでわからない。

日中は暑くなるようだが、朝は寒いと感じるのは私だけだろうか。

パソコンの温度計は十七度になっている。

まぁ、日中は夏日になるのだろうが。

なんだかすっかり北千住が私の庭のようになった。

この辺りは家賃がべらぼうに安いわけではないのだが、やはり便利である。

都内に直結しているので、田舎に住んでいる割には用事を足し易い。

人にも会いやすいし、住めば都とはこのことを言うのだろうか。

この部屋に来て四ヶ月ほど。

すっかり以前住んでた家の面影を忘れてしまった。

薄情なのか、立ち直りが早いのかわからないが、それだけ日々が充実していることに他ならないだろう。

部屋に一人でいると、静寂が訪れる。

集中できるし、カフェにわざわざ逃げ込んだりする必要もない。

ぶっちゃけこれだけ自由な生活を送っていると、もう窮屈な生活には戻れない。

随分と長い間一人でいるような気がするが、たった四ヶ月間なのだと考えるとゾッとする。

人生は短いようで長いような錯覚に陥ってしまう。

私があまり細かいことを気にしないのは性格だけではない。

早い話、守るものがないからだと思う。

以前こんなことを書いた記憶がある。

 

「仕事上の責任などがあれば、それが手綱となり、私が飛んで行くのを防いでくれるのではないか?」

 

確かにそうだ。

もしかしたら、子供はいないけれども責任のようなものがあればもう少し自分を大切にするかも知れない。

ところがこんなことを言われたこともある。

 

「蓮さんは本を書いている時点で、読者への責任がある」

 

尤もだとも思った。

こう見えて、私は本を通じて人生相談などを受けることがある。

彼らの多くは、励ましの言葉を求めているのだろう。

私は自分を悪く書くところがあるが、それはエールでもあるのだ。

これもしつこいが、こんな俺らでも生きていていいんだと思ってもらいたいのだ。

忌野清志郎さんは、喉頭がんだったらしい。(確か…)

だけど、歌うことを優先して、摘出手術をしなかったそうだ。

私も実は色々あるのだが、書くことには支障がないように神様はちゃんと計算しているなと感じたりする。

お陰様で、不摂生を繰り返している割には身体は丈夫。

これも神が私に与えてくれたものの一つだろう。

肝臓の数値が異常ないのが不思議なくらいである。

 

 

話を戻すが、責任について考えている。

読者の方は、私に責任感など求めているのだろうか?

「尊厳と自由」というお言葉を戴いた。

物凄くしっくり来たので、今ここに記しておく。

この世に私無しでは生きて行けない人はいるだろうか?

いるとしたら、私はそういう人と生きて行きたい。

私無しで生きて行ける人と、わざわざ一緒になる必要はないように感じる。

恐らくこれも、私の独占欲と嫉妬心から生まれる発想なのだと思うが、この世で俺とお前しかいないというのが理想なのである。

だからついつい孤独な人を選びがち。

それこそ、私の存在意義を確かめるためには、私がいないと生きて行けない人の方がいいのである。

勿論、本人からしたら私がいなきゃダメだなんて認めないだろう。

だけど、誰に心を開くかどうかが問題なのだ。

この人は私といる時のみ満たされ、私にだけ心を開くのだとわかった時、とてつもない幸福感に満たされる。

かくいう私はオープンマインドなので、多くの方に心を開けるが、安堵を覚える人というのはごくごく僅かかも知れない。

 

 

私はなぜ埼玉県にいるのだろうかと、たまに考える。

ここにいる必要はあまり感じられないと思うこともある。

まぁ、まだ四ヶ月しか経っていないんだけどね。

いつかド田舎に引っ込むかもね。