nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

消えてゆく人、残る人

実は先日、母親と電話した時、私は服を殆ど持っていないという話をした。

バイトへ行くのは何でもいいが、Tシャツ一枚で行くわけにはいかない場所もあるんだと。

例えば打ち合わせや、人に会う時だ。

埼玉県は暑いから、長袖の薄手のシャツかジャケットのようなものがあれば上に羽織ることができると。

すると、母親はシャツを六枚、Tシャツを四枚、そして麻のジャケットを送ってくれた。

どれもこれも私にピッタリだった。

質のいいものばかりだった。

勿論手紙も同封されていた。

いつも心に大きな穴が開いたようだったと。

 

「沢山の苦労、心の痛み、孤独を経て、今ここにいるのでしょう」

 

そうだよね~。

私もこの十年間はとても孤独で、だから『破壊から再生へ』を書いた。

当時の母親へ対する想いも書いた。

その間、私は富山県で一人孤独に子宮けい癌に罹った。

まだまだ若く、世の中に未練がタラタラだった私は、親がいるのに頼れなかったことが辛かったのだろう。

しかし、逆の立場だったら頼って貰えなかった親の方が辛かったかも知れない。

また、疎遠じゃなければ私は結婚してなかったかも知れない。

しかし、母親は疎遠になる前に私に対してこう言っていた。

 

「女は結婚するのが一番よ!社会的に生き辛くなるから。旦那さんを見つけなさい」

 

ところが現状について言ってみたら、母親はこう言った。

 

「今は耐えなさい。いい人が見つかれば再婚すればいいのにね」

 

親からそう言われると、本当に実現しそうな気がしてくる。

そんなことより、ウチの家系は長生きしないと言われたことの方がある意味ショックだな。

四十年間親子らしい関係を築いてこれなかったのだから、これからだ。

これからなのに死なれたらショックだよな~。

それにしても、やはり私の母親だなと思うことは、帰っておいでとは言わないところだ。

あくまでも私には自立した状態を貫いて欲しいのだと思う。

況してや自分の老後の話などしない。

ただ、死ぬまでに一度は顔が見たいと思っているとのことだった。

きっといつ死んでも構わないという覚悟ができているのだろう。

長くてもあと十年かな。

寂しいね。

 

私は十年以上生きなければならない。

親より先に死ぬのは親があまりにも可哀想だ。

それとも、もう達観しているだろうか。

私がこんなヤツだということは、四十一年前から知っているわけだ。

半ば諦めているかも知れない。

私自身は、とっくに長く生きないだろうと悟っている。

やり残したことがあるとすれば、パートナーを見つけることくらいだ。

昨日書いたっけ?

いや、書いていない。

私は貧しくてもいいのだ。

でもさ、母親と和解できたように、願っていればパートナー見つかるんじゃね?

願いとか祈りって叶うような気がしてならない。

まぁ、パートナーが見つかってしまったら、死にたくなくなるんだろうなぁ。

でも親の歳まで二十五年ある。

やはり私もいつかは自分にとって相応しい相手を見つけたい。

私は友情らしい友情を見つけたのも本当に最近の話だ。

結婚前後くらいからだと思う。

一番の味方であるはずの母親とも疎遠なまま、友情だけを頼りに生きてきた。

しかし、誰かが現れた時、どうでもいい人は消えていくというのを学んだ。

母親が現れて、誰か消えていく人はいるのだろうか。

もののあはれやなぁ。

幾ら「与えて忘れる」精神を持っていても離れて行く人はいるし、離れない人は離れない。

友人曰く。。。

 

「友情とはいつの間にか仲良くなり、いつの間にか疎遠になるもの」

 

だそうだ。

もののあはれやないか。

 

母親は、梅雨が終わって猛暑が終われば東京まで会いに来るとのこと。

秋かぁ。

夏なんて、さっさと通り過ぎればいいのに。

若い頃はあんなに好きだったのにね、夏。