nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

清々しい読後感とユニークさ

「蓮さんは人生の苦悩を学びに転化した。だから読後感が清々しいのである」

 

そう仰ってくれた人がいる。

また、こう見えて私はユーモラスであると云うことも見抜いてくれた。

これは私が愛読しているブログに書かれた『破壊から再生へ』の感想文の一節である。

愛読しているクセに、肝心な自分の著書の感想文を見落としていて、今更発見したという話だ。

やれやれ。

敬意と愛情を感じてとても幸せな気分になった。

わかってくれる人には、私の良さがわかるのだなぁ~なんて思い上がっているわけではないが、理解者がいてくれて安堵している。

『破壊から再生へ』を書いた頃は、私はとんでもなく孤独だった。

理解者になってくれる人が本当に一人もいなかったのだ。

上京してみてもダメで、縁があって長年いた富山県に行ってみてもダメだった。

独身の県外者が富山県に馴染もうとすること自体間違っていたのだが、住むにはとても良いところでついつい長居してしまったのだ。

執筆にはベストな環境だった。

食べ物は美味しいし、自然は豊かだし、道路は空いているし、夜はカエルの鳴き声以外聞こえない程静か。

そして空を見上げれば、今にも零れ落ちそうな星がびっしりと輝いていた。

家賃もさほど高くなく、車生活なので不便さを感じることもなく、私が住んでいた高岡市には病院、TSUTAYA、古本屋、中古レコード屋、スーパー、ドラッグストアが車で五分以内のところにあり、極めてシンプルな生活ができた。

仕事はあいにく隣町の富山市まで通ったのだが、それでも夜勤専属だったので、夜中の八号線はガラガラ。

ゴミ処理場での勤務は私にとってはとても有意義なものだった。

人が嫌がる仕事をした者は神様がきっと見捨てないだろうと信じていたからだ。

悪臭との闘いは過酷だったが、慣れとは怖いもので途中からマスクをしなくても平気になった。

職場の中で私は一人浮いた存在だった。

当たり前だ。

独身の県外者の女が何故、ゴミ処理場で働いているのか周りからしたら謎だろう。

つまり、人間関係の良い職場ではあったが、友達にはなれなかった。

結局私は自宅と職場の往復だけで、余計な誘惑もなく、ひたすらパソコンに向かうことができた。

日記のような、エッセイのような、雑記のようなものを毎日毎日たった一人で書き綴ったものが『破壊から再生へ』である。

稚拙な部分もあるかと思えば、世の中を達観しているようなところもある。

そして考え方そのものが、汚れを知らずユニークである。

苦労しているのだが、読んでいて痛快で、まるで橋岡蓮の活劇である。

その頃のスピリットで以て、私は「今」を生きている。

だから病を抱えようが、モラハラに遭おうが、手が震えようが、生活が苦しかろうが、私と云う人間そのものが曇らずにピーカンに晴れているのだ。

捉え方によっては、生きる勇気や生きる楽しさを解いている本とも言える。

孤独は辛いけれど、孤独も悪くない。

そう思うことができるかも知れない。

ロックンローラー』は、自殺を防いでくれる本だ。

これまた、苦悩の連続なのだが、人の不幸は蜜の味。

自分が抱えている難題の突破口を見出す手助けになるようなものを今書いている。

 

今日は、私の本の紹介をするつもりじゃなかったのだが、最近本を買ってくれる方が非常に増え、感想を読ませて頂くことも多々あるのでボルテージが上がって書いてしまった。

 

これだけは言える。

私の本を読んで、「蓮さん可哀想」と言う人は不思議とほぼいない。

読書が苦手な方でも最後まで読める。

無論、最後まで読んでもらわなければ爽快感は味わえない。

冒頭に書いたように、苦しみを学びに転化して生きている私からは、暗さは伝わってこないはずだ。

皆が私のことをどんな風に見ているかわからないが、幼少時代はひょうきんもので皆を笑わせていたらしい。

三つ子の魂百までだから、そういうスピリットはきっと残っているのだろうな。