日曜日の午後、リモートでの勉強会があったので参加させて頂いた。
内容は民主主義の本質、と云うもの。
私は朝早く起きて、なんだかとても疲れていた。
できることならバックレたかったが、そういうわけにも行かず支度を開始した。
一体この疲れは何なんだろう。
寝不足か?
飲み過ぎではないことは確かだ。
抜けない疲労を引き摺るようにして、私は二階にある自室に向かった。
もしかしたら、気が重たかったのかも知れない。
民主主義の本質?
私、興味ないんですけど。。。
況してや大学の授業より難しい内容だと聞いていた。
着いて行けなかったらどうしよう。。。
私は学が無いことを自覚しているので、不安要素だらけ。
メンタル的コンディションが身体に出たのかも知れない。
とにかくウダウダ言っていないで体当たりで行くしかないか。
予め、民主主義についての予備知識は入れておいた。
だが、私が想像していたものとは全く違った内容の勉強会だった。
要は、民主主義とは元々宗教や哲学からでき上がったものであり、信仰心が無いと歯止めが効かなくなりやりたい放題になってしまう。
だから信仰心が大切なのだと云うような内容だった。
ぶっちゃけ、私は無宗教であり、聖書も読んだことはないし、興味もない。
講師の方は、ひっきりなしに「信仰心」の話をしている。
もしかしたら、この勉強会は私には無関係だったかも。。。そんなことが頭をよぎった。
ただ、他の参加者はどうやら熱心に聴いているようだった。
私も講師の話は真剣に聴いたし内容もわかった。
世界史の勉強をしたと思えば、いい勉強にはなったかな。
などと思っていたら、質問はないかと訊かれたのだ。
まさか私に回ってくるとは思わなかったので、正直に言ってしまった。
腹の中にあることをそのまま口にしたのである。
「信仰心と謂うけれど、私は無宗教で信仰心など無いのに、歯止めは効くし欲もない。それは何故ですか?」
喧嘩を売るつもりもないし、場を乱すつもりもなかった。
だが、それが率直な疑問だったのだ。
するとこんな答えが返ってきた。
「いやいや、蓮さんはめちゃくちゃ信仰心を持っていますよ。蓮さんは日本人だからとても日本的な信仰心ですね。心の中に仏がいるのが僕にはわかります。キリスト教のようなわかり易い神ではなく、とても曖昧だけど仏のような存在が心の中に間違いなくいます。蓮さんは信仰心を持っているからこそ、様々なことを乗り越えることができ、自分の意見で正直に生きることができ、嘘偽りのない文章が書けるのです。蓮さんに信仰心が無かったら僕の話を理解せず逃げ出していることでしょう。だけど、蓮さんはスーッと理解し、自分の中に落とし込み、それを具現化することができる。誰にでもわかり易い文章で、人々を巻き込む力を持っている。それは蓮さんの中に仏のような存在がいる証拠です」
「私はよく『蓮の花』の話をするのですが、それは仏教の話でしたっけ?」
「そうですね、と云うより『禅』でしょうね。更に蓮さんは様々な独自の哲学を持っていますね。だから真っ直ぐに生きることができ、人々から共感を得られるのです。蓮さんは決して好かれようとしていない。自分に正直になって文章を書くだけで多くの人を惹きつけます。それは蓮さんのように深い信仰心を持った人だからこそできることでもあるのですよ」
ヤバいぞこりゃ。
仏のような心を持っている?
最後の最後で、またもや腑に落ちてしまった。
勉強会に参加して良かったと心から思うことができ、安堵に包まれた。
具体的に謂うならば、十年振りに母親の声を電話で聞いたような安堵感。
私は漠然と神様みたいなものは信じていたけれど、それが信仰心と呼ばれるものだったとは初めて知った。
平穏が訪れた理由は明確にはわからない。
だけど、根拠は無いが私は間違っていなかったのだと思うことができた。
そうか、「禅」か。。。
修行っていう意味だそうだ。
妙に納得させられて、気が付けば疲労が抜けていた。
幸福感に満たされたからだろう。