nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

最大の親孝行とは。。。

「もう、なんで蓮さんジンギスカン一人で食べなかったのよ!!!」

 

彼女は笑っていたが、本気で言っている。

 

「お母さん、きっと怒っているわよ!!!」

 

笑いながら言っているが、本気だ。

彼女は子供を持つ母親である。

母心が痛いほどわかるのだろう。

これからは戴いたものは一人でコッソリ食べることにしよう。

とはいえ、ジンギスカンダンボール箱で届いたし、隠しようがなかったんだよな。

でも、友人の気持ちがとても嬉しかった。

そして私と母親の和解をとても喜んでくれていた。

まるで自分のことのように。。。

そして、母親と同じように、なんとか再婚できないものかと真剣に考えてくれていた。

本当にそうだよね~。

いい人がいたら、直ぐにそっちへ行くのにね。

 

私は最近空いた時間を使って勉強をしている。

簡単に謂えば、生き方に関する勉強である。

その中には、パートナーを愛さなければダメだとあった。

わかってる、わかっているけどそう簡単には行かないのだ。

これでもかと云うほど、良いところを探したり、憎たらしさを許したり。

自分にできる範囲内で尽くしてきたつもりだけど、心の底からパートナーを愛することは無理だ。

だったら私はクズなのか?

実際問題、パートナーを愛せなくて悩んでいる人は五万といると思う。

そういう人々は全員クズか?

そんなわけないだろう。

 

とある偉人さんの本によると、私は孤独になった方が運が上がると書いてあった。

逆説的に言えば、パートナーに恵まれないということだ。

だってさ、私はこうして物質的には一人暮らしではないけれど、「二人の孤独」と云うものを体験している。

これは、一人の孤独よりも辛いものがある。

しかし、私にとって良くも悪くも「ストッパー」になっていることは事実だ。

飲み歩くこともできないし、必要以上に誰かに電話したりすることもない。

一緒にいる間は、大人しくしているしかない。

私が自分時間を優先すれば、嫌味皮肉が飛んでくる。

今回も友人と一緒に話をしていて、帰りがほんのちょっと遅くなった。

たかが三十分くらいだ。

それを責められ、口論になり(強気に言ってみた)、口を利かなくなった。

俺様の自分ファーストな人間なので、私が何を言ったところで変わらない。

つまり、私はこう見えて孤独であると云うことだ。

仲間は沢山いるので幸福感に満ち溢れることもあれば、独りぼっちのように感じることもある。

まぁ、その寂しさはパートナーを愛せない人にとっては当たり前のようなもの。

私だけではない、多くの人が抱えている悩みだ。

『破壊から再生へ』にも、自分は寂しさを抱えていると云うことがここぞとばかりに書かれている。

母親と和解して嬉しかった反面、いつか来る別れを想うと寂しくなる。

大事な人が増えると云うことは、寂しさが増すということでもある。

先日、最大の親孝行は。。。と云うような文章を目にした。

そこにはこう書いてあった。

簡単に謂うと、自分の理想と親の理想が一致することだそうだ。

はて、これって合ってるの???

疑問を持ったが、疑問を持ったというところがポイント。

疑問を持てば答えは出る。

答えを知っている正しい相談相手に訊いてみればいいからだ。

私の母親はもはや理想もクソもないと思う。

幼少時代は私は多才な子供だったので、芸術家に育てようとしていたようだ。

しかし、今は幸せな結婚生活を送って欲しいと思っているのではないだろうか。

私の理想???

私はこのまま自分を貫くのみだ。

 

「もしかして蓮さん、裏方に徹しちゃうの?寂しいなぁ」

 

友人の一言が答えのような気がする。

私は苦悩の中を生きて、書き続けるのみ。

そんな姿を見て、誇らしいと思ってくれる人と一緒にいられれば最高なんだけどな。

私はこのまま人生の悲哀を書き続けるのだろうか。
それも違う気がしてならない。