nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

悩むとは人間である証拠

誰かが言っていた。

悩んでいるのは人間である証拠だって。

確かにそうなんだけど、自分の悩みってどうもちっぽけに感じる。

例えば、私はこう見えて非常に寂しがり屋なくせに、人付き合いが上手ではない。

せまく深い付き合いがしたいのに、それがなかなか上手く機能していなかったりする。

思い込みだろうか?

私は友人に囲まれているはずなのに、たまにどうしようもない孤独を感じる時がある。

それは、信頼がないとかそういうことではない。

ポツンと孤立してしまっているような錯覚に陥るのである。

今はとにかく忙しい時期。

時間があっても足りない。

日々の作業に忙殺されていると、何となく取り残されたような気持ちになる。

これは、今に始まった話ではない。

 

「私って、友達がいて幸せだなぁ~」

 

そう感じることもあれば、とてつもない不安に襲われる時もある。

かといって、焦って誰かに連絡したりすることをためらう自分がいる。

旦那と上手く行っている時はまだマシなのだが、歯車が狂うと、やはり人恋しくなるのだ。

そんな時に限って、不器用さが顔を出す。

そしてこう思うのだ。

 

「所詮、人間は誰もが孤独なのだ!」

 

夫婦不仲まで行かないけれども、信頼関係が無い間柄。

尚且つ子供がいないで、心の支えが見えなくなったりするものかも知れない。

気持ちの上では、独立自尊で生きて行きたいと思っている。

つまり精神的にも経済的にも自立するということだ。

そして自分を律することができるということ。

 

なんでこんなことを考えて悩んでいるかと云うと、やっぱり母さんに対する旦那の態度がショックだったからだ。

深く傷付いてしまったのだろう。

ところが、私は怒りを上手く表現できないという体質を持っている。

だからはらわた煮えかえることがあっても、傍から見れば我慢しているように見えるのだ。

はたまた、怒りを感じていないようにも見られる。

喜怒哀楽を感じていても、それを表現することが難しいのである。

腹の底から笑うこともできなければ、大きな声を出すこともできない。

人に依っては、退屈そうに見られることもしばしば。

私本人は、とても楽しんでいるのに、相手にそれが伝わらない。

哀しい時も、涙が出ない。

ただひたすら、胃がキリキリと痛み、頭が痛くなったり、全身が硬直したりするのだ。

無感情の人と誤解されるケースが多い。

 

「蓮さんの笑い方って、面白いよね。フフフとしか笑わないのね」

 

そう言ってモノマネをされることもある。

その度に思うのだ。

人間って嫌だなぁ~と。

 

だから優しい人とせまく深い付き合いがしたいと思っているのだが、友情とは目には見えないもの。

私は目に見えないそれを信じることしかできない。

そして、自分の徳ではなく、相手の幸福を祈ることだと思っている。

 

てか、私の場合、友情とか絆とか愛情とか、目には見えないものばかりを信じている気がする。

私の仕事のパートナーである彼は、それでいいのだと言ってくれる。

私も一方通行で良いのだと言い聞かせている。

しかし、相手が見えないと云うのは、人間を不安に陥れるものだ。

だから私は常に不安なのだろうか。

母さんが生きている間は、最強の女友達になってくれるはずだ。

捨てる神あれば拾う神あり。

母さんの出現によって、離れて行く人がいてもおかしくはない。

先日電話した時に、こう言ってくれた。

 

「アンタは才能があるんだから、スキルを身に付けて頑張りなさい!」

 

そっかぁ~。

じゃあ私の歩むべき道は間違っていないのだ。

私には無理だと諦めてしまいそうになることも多々あるが、やってやれないことはないと思っている自分もいる。

悩んでいるのは人間である証拠。

開き直って大いに悩もうと思う。

次から次で、申し訳ないけどね。