nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

友情とは何か

私は十年以上の交友関係がある人が二人しかいない。

原因の一つは、住居を転々としていたからだ。

二つ目は、お互いそれぞれの結婚だ。

それが原因となって、疎遠になってしまったと云うのもある。

三つ目は、友達に別の友達ができた時だ。

自分の必要性を感じなくなって、なんとなく離れてしまうことがある。

この場合、直観的に悟ってしまうことが多い。

あ、離れる時が来たのだなと。

 

友情とは動物的に惹かれ合うことがある。

それは理屈など抜きに、恋愛に近いものがある。

一目惚れ的要素を含んでいる場合もある。

友情と恋愛は似て非なるものだ。

お互いに惹かれ合うものが無いと成立しない。

何となく気が合いそうだな、って云うのは「動物的勘」なのだ。

逆に知性で友達になることもある。

所謂理屈がある場合だ。

この人のこういう才能に惚れ込んだ、というのが知性的なのだ。

 

私はお笑い芸人に詳しくないのであまり例に挙げたくない。

しかし、彼等は「動物的勘」と「知性的」の両方で相方を選んでいるように思うのだ。

その二つが混じり合ってこそ、良い相方が存在するのではないか。

コンビを組むと云うことは、やはりお互いの才能に惚れ込んでいなければならない。

でもそれだけではダメだ。

「動物的勘」で、理屈もないのに引き寄せられるものがあってこそ、最強のコンビになるのだろう。

 

私が親しくしている女友達は、例外を除いて「動物的勘」である。

何となく気が合いそうだなと思っているうちに、親しくなったケースが多い。

そんな中、最近は「知性的」で以て親しくなるケースもある。

非常に分かり易く謂うならば、文の書き方が好きだったり、コメントの仕方が好きだったり、理解力に惚れ込んだり、考え方に圧倒されたりだ。

これらは紛れもなく、彼女達の才能に惚れ込んでいる証拠。

仮にネット上でしか遣り取りできなくても、私は堂々と友情を語ることができる。

 

考えてみれば、男友達も「知性的」で選んだ人が多いのかも知れない。

普段、電話で話すような友達は、明らかにお互いの才能を認め合って成立している。

彼等は、蓮さんのこういうところが好きだ!とハッキリ述べることができるはずだ。

逆も然り、私も彼等の良いところを述べることができる。

つまり「敬意」があるから友情が成立しているのだ。

考えように依っては、男と女だからこそ「知性的」な関係であることが重要なのかも知れない。

電話ではなく、ネット上のお付き合いの場合は、「知性的」と「動物的勘」の両方が入り混じっていないと長続きしないかも知れない。

話したこともないのに、本当に友達と思えるのだから不思議だ。

 

まぁ、男だろうが女だろうが、「知性的」にプラスして「動物的勘」があって当然ではある。

ただ、「動物的勘」と云うのは実は結構当たっていることが多い。

相手も私に対して「動物的勘」で接してくれることが多いのだろう。

「知性的」で以て接してくれているならば、尚嬉しいが。

 

ちょっとややこしくなってきた。

ただ友情の哀しいところは、いつか尽きて疎遠になってしまうものでもあるということだ。

だけどこの歳になると、今いる友達とは一生の付き合いがしたいと考えてしまう。

これ以上要らないから、どうか変わらぬ関係でいたいと思う。

でも不思議なことに、長い付き合いができそうだった人に限って疎遠になってしまったこともある。

話が尽きてしまうのだろうか。

真剣になり過ぎる人ほど、疲れてしまって関係を止めてしまう人もいる。

真面目な人に多いようだ。

気楽に連絡をくれれば、いつでもウェルカム。

しかし、一度疎遠になるとなかなか元には戻らない。

だからこそ、縁は大切にしなければならないと思う。

押し付け過ぎず、かといって離れすぎず、手綱だけは引いておきたい。

疎遠になってしまった友達に連絡してみて、後悔することもある。

冷たい対応をされた時だ。

それが怖くて、あまり私からは連絡しないのだけれど。