nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

怒りは後からやって来る

「もし女性が苦痛に際してあまり感情を出さぬとすれば、それは我慢強いからではなく、痛みをあまり感じないからだ」

 

今、読んでいる本にそう書いていた。

 

違うね!

 

それは我慢慣れしているからだ。

そういう女性に限って、人間のちょっとした表情にさえ傷付くものだ。

たった一言にさえ、心を痛めるものだ。

 

私って本を読んでもあまり感化されないタイプ。

違うと思ったものは、どんな偉人さんの言葉でも否定することもある。

 

何故なら私は苦痛を感じても、感情を露わにしない。

グッと堪えて胸がズキズキ痛んでいるタイプ。

痛みを感じないなんてとんでもない。

大きなトラブルにならないよう、相手を逆上させないように我慢しているのだ。

そういう癖がついている。

傷付いていないわけではない。

寧ろ、我慢しなきゃいけないものだと思っている。

だからこの本を書いた著者は、下らない女しか知らなかったのだと思った。

確かに著者が言っていることも一理ある。

女って云うものは、感情を表に出す人が多い。

しかし、感情を出さない人は、鈍感みたいな言い方に腹が立った。

まぁ、昔の本だからかも知れない。

でも、あんまりじゃないか?

私は逆にこう考える。

 

「もし女性が苦痛に際してあまり感情を出さぬとすれば、それは我慢の度合いが違うだけであって、痛みは誰もが感じているものだ」

 

我慢とは理性でコントロールできる人と、そうじゃない人がいる。

だからと云って、前者と後者では同じように傷付いているのだ。

例えば、ウチの母親はコントロールできない人だった。

だから父親に対して、私に対して当たり散らしていた。

この著者はそういう女性をイメージして言っているのだと思う。

私は子供の頃から、今に至るまで内に秘めるタイプだった。

自分で言うのもおかしいが、私はどちらかと云うと傷つき易い。

ちょっとしたことで傷ついて、心折れてしまう節もある。

それを理性でコントロールしているのだ。

こうやって文章を書いていれば、自己主張が強いタイプと思われるかも知れないが、そうでもない。

理性でコントロールして、頭の中で処理しているのだ。

自分に都合がいいようにポジティブに、相手にもそこまで悪意はないだろうと解釈するのである。

そうしないと、話は収まらないからだ。

 

私の場合、怒りが後からやって来る。

その場はあまりに衝撃で言葉が出ないのである。

色々と考えて頭の中を整理する。

そのうち、そんなこと言われる筋合いはないと激怒する。

かといって、もう時間が経過しているので、話をぶり返すようで言い出せないだけの話だ。

結局そのまま傷は残る。

ワーッと喧嘩してしまった方が後腐れないかも知れない。

しかしそれができない理由は、こう考えるからだ。

 

「私にも非があるかも知れない!」

 

そうやって喧嘩の場面も逃し、ストレスだけが溜まり、遣る瀬無さが残る。

何度も言うが、決して鈍感なわけではない。

しかし、そんな怒りや遣る瀬無さも時間と共に消えて行ってしまう。

その繰り返しではないだろうか。

私の人生ってそんなものである。

 

鈍感と本に書いてあって腹が立ったが、瞬時に相手の悪意を判断できないことは欠点かも知れない。

 

「この人はどうしてそんなこと言うんだろう…」

 

そう考えていること自体がトロイのかも知れない。

しかし、怒りが後から来る人は珍しくない。

決して私だけじゃないはずだ。

それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。

ただ、女は感情的な生き物だという考え方は捨てた方が良いと思う。

中には理性で以て、接している人もいる。

だから疲れるのかも知れないが。