nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

心ズタボロでも

最近、休みの日に誰にも会わず一人で過ごしている。

そのせいか、休日は身体は楽だけど、仕事している方が楽しい。

これ、ヤバくない?

いつも待ちに待った休日なのに、全然楽しくない。

でも、身体は疲れているから休みたい。

整骨院へ行けば、身体は癒える。

ただ、心だけがなんだかズタボロで、どこかへ行く気がしないのだ。

心の疲れって何をしても癒えない。

美味しいもの食べようが、音楽聴こうが、酒を飲もうが。

ただ、文章を書いている時だけ我を忘れることができているような気がする。

怒りも哀しみも、書いてしまえば案外ケロッとする。

翌日自分の投稿を読んで笑えるっていうことは、そういうことだろう。

何故笑えるかって、皆の顔が思い浮かぶからだ。

私が怒って泣こうが喚こうが、蓮さん節出た!などと言ってクスクス笑っている姿が。

私自身も何となく安堵して、書いてよかったなどと思うのである。

そして勝手に一人ではないことを再認識する。

もしかしたら私はたまに怒っているくらいが、皆にとっての安堵に繋がるのかも知れない。

独りよがりな思い込みに過ぎなかったとしても。

 

 

久々に豪快な二桁の数字を叩き出した私は、自分へのご褒美にプロントへ寄った。

まずは濃いめの角ハイボール

とにかく野菜とタンパク質と思って、小松菜の塩麹漬けとハムエッグを頼んだ。

どちらもまぁまぁな味だったので醤油をドバドバかけた。

塩分など私には関係ない。

そのものが美味けりゃそれでいいのだ。

 

 

相手を信頼していないと喜怒哀楽は表に出せないものだ。

すぐキレる大人は甘ったれなんてよく言うだろ?

私ってありとあらゆるところでキレまくってきたけど、きっと許されるっていう甘えがあったのかも知れない。

やはり四十代に入ると大人扱いされるから、ついつい感情は抑えてしまう。

ところが、泣いて、笑って、キレまくっていた頃の私を知っている人からすると物足りなく感じているのかなぁとも思ったりもする。

ただこれだけは言える。

私が社会の中で上手く行かなかったのは、社会のせいじゃない。

恐らく私自身に問題があったのだ。

めちゃくちゃ尖っていたし、ところ構わずキレていた。

そして腹の中でいつもこう思っていた。

私が社長だったら、私がリーダーだったら、私がアイツだったらと。

四六時中怒りを抑えられなかった。

でも、今はさほど上司にキレたりしない。

自分で言ったこと守れや、などとぶつくさぼやく程度のものだ。

何故、感情をコントロールするようになったかと云えば、もう許されないと思っているからだ。

私は上司でもリーダーでもないが、年齢的には皆から背中を見られているのだという自覚を持っている。

だから、恥に匹敵するようなことは絶対にしないようにしている。

恥とは何かって、大人気ない言動のことだ。

自分が数字を出そうが出せまいが冷静沈着でいることは、やはり人目を意識しているからに他ならない。

よりによって一番年長者である私に感情のムラがあってはならないと思うからだ。

ガツガツと数字を追う姿は、皆より一歩先を行っていなければならない。

たまにコケて、最下位になるのももしかしたら皆を安堵させていることに繋がっているのかも知れない。

私が怒りを表現すると、これを読んでくれている皆がクスクス笑うみたいに。

 

 

最近心掛けていることは、言い訳をしないということだ。

とはいえ、たまには喫煙所で煙草ふかしながら、延々と言い訳をしまくることがある。

それを聞いて皆がゲラゲラ笑っているのさ。

ね?

私がズタボロでも池袋まで通うのが何となくわかるでしょう?

居場所を作るってこういうことの積み重ねじゃないかな。

話がまとまらないけど、時間がないんだよ!

それは単なる言い訳に過ぎないか。