nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

手の届かない女

池袋駅前のジンギスカン屋に寄った。

北海道出身の私には物足りないのなんのって。

でも、東京で食べる沖縄料理みたいな感じかも。

味のクオリティを求めてはいけないが、その土地へ行った気分だけは味わえる。

そんな感覚で、それなりに楽しんできた。

隣には若僧三人組が座っていて、ガンガンオーダーしていた。

 

「抱ける女は美味くない!勝てる人と勝負しても詰まらないのと一緒だろ?」

「おぉ、確かにそうだけど、女はゲームじゃないよな?」

「いつかあの女手に入るのかなぁ?って思っているのがいいんだよ」

「手の届かない女か…」

「そうだね」

 

は?

オバさんは物申してやりたかった。

アンタね、ちょっとモテるからって調子に乗ってんじゃねーよ!

確かに三人の中では一番綺麗な顔をしてしいて、女には困っていないようだった。

残り二人はきっと彼女を大事にするタイプ。

そんな二人を前にして、酒の力を借りて調子こいてるだけだろう。

それなのにやはり考えてしまった。

 

「手の届かない女かぁ…」

 

私は基本的に全ての人にとって身近な存在でありたい。

しかし、手の届かない女でいたい。

かといって誰のものにもなれないのは嫌だ。

誰かにとってはスペシャルでありたい。

男は『手の届かない女』などと平気で言うが、こんなこと言っていたら女を敵に回すと思う。

男に惚れた女は大概尽くすものだ。

私かて若かりし頃は尽くしたもんな。

二十代の頃の私はとことん一途で、今となっては眩しいほどに輝いていた。

歳を重ねるとはどういうことなのかわからないが、私は本気で恋をしなくなったかも知れない。

私を虜にできる男に出会ってないからか?

いやいや、でも手の届かない女が男の憧れというのなら、私にどうしろと言うのだろう。

誰とも付き合わず、皆の憧れを貫くのか?

いや、私は人生に於いてそんなに勿体無いことはしない。

つまり、誰にも言わずにコソコソやることだけはやるというわけだ。

そして、世の男には『手の届かない女』だと思わせとく。

うん、それが一番いいかも知れない。

 

 

手の届かない女と、誰かのものになった女って、天秤にかけるもんでもない。

誰のものにもなれない女もいるわけで。

人妻がモテる世の中だから、やはり、手の届かない女がいいわけでもないような。

私のことを話すと、人妻時代はとにかくモテた。

独身に戻ってから、そうでもなくなった。

友達からは、蓮さんは恋多き女と言われることもあるが全然そんなことない。

いつも愛に飢えている。

このまま行けば、誰のものにもなれない女まっしぐら。

焦ってはいけないのか、余裕ぶっこいていればいいのか?

若僧のせいで、そんなことまで考えてしまった。

こう見えて、若い頃はそこそこ人気者だった私。

でも『誰か』がいたような気もしないでもない。

はたまた、誰のものにもなれないまま今に至っているような気もするし。

 

 

手の届かない女って、孤高なイメージ。

いい女かも知れないが、寂しそうだ。

誰かのものになった女はどうだろうか。

はち切れんばかりの笑顔でブーケでも持っているのだろうか。

手の届かない女は強気に見せて、案外弱いイメージ。

誰かのものになった女は、素直に人を愛せるし、また、愛されることを知っているのだろう。

私はこの歳になって、結婚離婚も経験したにせよ、一人で仕事に生きている自分に安堵したりしてちょっと痛い女になってきた。

先日お会いした人が言っていた。

 

「蓮さん、これからは若い男がいいよ!」

 

そんなことを言われたら、コールセンターの若者が眩しく見えたりして。

何のためにって、とにかく自分がいつまでも輝いていたいからだ。

若い男を追いかける女にはなりたくないと思っていたけど、若い男から、

 

「蓮さんなら行ける!」

 

そう思ってもらいたいかも。