nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

正体

再発行された定期券を取りに池袋駅みどりの窓口へ行き、そのまま直帰した。

コンビニで角ハイボールを一缶だけ買った。

すっかり飲まなくなって弱くなったものだ。

胃の痛みやら精神的な不安定さはどうやら乗り越えられたようだ。

もしかしたら恋煩いから脱出できたのかも知れない。

精神科医や医療を頼ることなく済んだ。

 

 

先輩という名の上司は三十二歳。

たまたま二連休だったので、休みの日は何してるの?と訊いてみた。

すると、家にこもって一人でゲームを遣りながら酒を飲んでいると言っていた。

三十二歳で引きこもりかよ?!

私、三十過ぎた頃は、上京して八王子に居て、お客さんからそのブレーンから、その道の人などと遊びまくっていた。

当時、RCサクセションタイマーズはテーマソングみたいなもので、ジムニー乗りまわして職務質問に遭って、ゲラゲラ笑いながら『ベイビー逃げるんだ!!ベイビー逃げるんだ!!ベイビー逃げるんだ逃げるんだ逃げるんだ!!!』などと歌っていた。

たまたま知り合った人の親分は釧路から逃げ出して上京したとのことで、北海道から出てきた私は神扱いされていた。

八王子の熟女パブでホステスをしていたのだが、店でも街でも一躍人気者。

ジムニーが目立っていたので、ちょっとした有名人だった。

崖から転落し、顔面を怪我してしまったことをきっかけに、居場所を失ったと思った私は、後に姿を消し、執筆活動に励むことになったのだが、落ち着くということはなかったようだ。

 

 

三十五歳のタメ口バカ女がマウント取ってくるからうざいなぁ~と思っているのだが、考えてみれば私の三十五歳ってとんでもない生活を送っていた。

富山県ドコモショップを辞めて、ススキノに舞い戻ったのが三十五歳。

ススキノの老舗の高級クラブでホステスやっていた頃。

昔札幌で付き合っていた彼氏と意気投合し、しょっちゅう飲み明かしていた。

久々のススキノにテンションが上がった私は、連日連夜仕事後に飲み歩き、ありとあらゆるラーメン屋へ寄った。

あれから八年が経とうとしている。

私は今、埼玉県に住みながら池袋で働いている。

しかし、池袋という街は、私には刺激が足りない。

たまに街をぶらぶらするが、ススキノのようにテンションは上がらない。

 

 

まぁ、何が言いたいかって、その辺の若僧とはバックボーンが違い過ぎるよなって話。

もしかしたら三十二歳の先輩と付き合っても物足りないかも知れない。

だったら、最初から手を出したり思わせぶったりしない方がいいだろう。

そう考えたら、諦めると云うより、手を引いた方がいいかな?と思う。

ゴキブリが、こんなことを訊いてきた。

 

「橋岡さん、時代が二千年に切り替わるミレニアムの頃って何してましたか?」

 

ミレニアムの頃は、私はちょうど二十歳。

学校へも行かず、仕事もしていなかった。

暦が変わった頃、私は青白い顔して部屋に閉じこもっていた。

一人の男に出会ったのもその頃だ。

 

「廃人だったね」

 

すると後ろにいた社長がこう言った。

 

「え?橋岡、お前、何やってたの?何の廃人?」

「まぁね」

「え?ゲーム廃人しか思い浮かばないんだけど」

 

まさか青白い顔していたとは言えるわけもない。

履歴書に書かれていない空白が少しずつバレて行く。

来月の盆休みには会社の皆で飲むそうだ。

私は早速ビジネスホテルを予約した。

誰も泊めてあげられないのが残念だが、ここぞとばかりにたらふく飲んでこようと思っている。

普段嘘つきの皆の正体がちょっとだけ見えるかも知れない。

私の正体もバレるかも知れない。