あまりの空腹で、カルボナーラを食べたら睡魔に襲われた。
眠い目を擦りながらこれを書いている。
会社の近くにカフェドクリエがあるのでそこに寄った。
残念ながらビールがなかったのでオレンジジュースを頼んだ。
ビールなら絶対に残さないのに、オレンジジュースは勿体ないと思えず、半分以上残したままで店を出た。
慌てて店を出たのに、三十分近く店にいたようだ。
電車に飛び乗って気づいたら二十一時近かった。
ただ、契約は取れたので気持ちは軽い。
もはや出勤したら契約を取って帰るのが当たり前になりつつある。
もう新人扱いもされない。
昨日取れたんだから今日も取れる、くらいの気持ちで臨んでいる。
ホテルは十二階の部屋で夜景が見えるかと思ったが、とんでもなかった。
窓を開けてもビルの頭が見えるだけだった。
朝は寝坊したが、久々にゆっくり寝れた気がした。
ホテルから会社まで十五分程度の距離だが、部屋でゆっくりしすぎてギリギリの出勤となった。
せっかくのんびりと過ごしたのに、猛ダッシュしたのでクタクタだった。
間に合って良かったけれど。
ふと思ったことがある。
私って結局どんな仕事を与えられても、それなりに楽しみながらこなすことができるのではないだろうか。
過去を振り返っても、楽しくなかった仕事が見当たらない。
給料に関係なく、『今を生きる』ことができているように思う。
仕事がなければないで、自宅で執筆作業を楽しんでいるし、文句垂れながらも今を生きている。
人によれば、私は流されているように見えるらしい。
私に言わせれば今を生きているだけなのだ。
目まぐるしくシチュエーションが変わるから、周りの人は半ば着いて来れないのかも知れない。
こないだまで執筆命と言っていたのに、今は営業マンだもんな。
そりゃそうだ。
春以降もどうやら仕事に困ることはなさそうだ。
多方面からお声をかけていただいている。
問題なのは、執筆の時間がまるでないこと。
ところが私はこれっぽっちも心配していない。
何故ならこの十年の中でドコモショップで販売をやっていた頃は仕事が激務で一行も書かなかったのだ。
その後、ススキノのクラブで働いていた時も一行も書かなかった。
それなのに、私はちゃんと書くことに戻った。
ススキノでホステスとして生きて行く道もあった。
にもかかわらず、私は物書きを志した。
だから、今は忙しくても、必ず書くタイミングが来ると思っている。
今、必要なことはただ一つ。
『今を生きる』
人間って、今を生きることができるようでできない生き物だと思っている。
今に不満を抱く割には未来をも憂う。
そんな人がほとんどかも知れない。
何故かって、腹を括れないからだ。
自分に与えられたものは天が与えたものだから、逆らうことは無謀だと割り切って考えられないからだ。
未来は決まっていると思っている。
私の場合は、多忙な時期を突破すれば、道が開け、世界が待っている。
私が決めたのではなく、そう決まっていて、そのために生まれてきたようなものである。
若い頃は遠回りしたことだって、初めから決まっていたことなのだ。
今というのは永遠ではない。
だから憂う必要もなく、また、深く考える必要もない。
与えられたものをこなすのみ。
歩き続けてこそ光が見えてくる。
何が言いたいかって、今を生き、楽しむしかないということである。
季節が変わるように、私の舞台がコロコロ変わるだけなのだから。