正直に生きるとは、私個人的には他人に嘘を付かないことではないような気がする。
相手に対して本音を言いたくないことだってあるだろう。
感情を誤魔化したい時、嘘を付きたい時だってある。
正直に生きるとは、自分の気持ちを誤魔化さないことであり、他人に嘘を付くことは大した問題ではないように思う。
嫌なものは嫌だ、できないわからないことに臆病にならない姿勢、好きなものは好き、それが正直さって云うものだと思っている。
今月から月に二回、とある勉強会に参加することにした。
何を学んでいるかと言えば、謂わばコミュニケーション力であり、人間の在り方である。
何のために参加しているのかと云えば、自分が今やっていることを極めるためだ。
今やっていることとは、コールセンターでの営業職に加え、文章を書くことだ。
はっきり言って、どちらもスキルやノウハウよりも大切なものがある。
それはマインドであり在り方だ。
勉強会を通じて、私は一つの大問題に気づいてしまった。
それは、私が書く文章の内容である。
物を書く人と云うものは、自分を切り貼りして書く。
もっと分かり易く言うと、ネタのために生きている節があるということだ。
更に解り易く言うと、書くことが全てなのだ。
だから私は多忙な中、勉強会に参加して自分を磨こうとしている。
最初は勉強会なんて要らないと思っていた。
でもやらずにはいられなかったのである。
『何か』やらなくては気が済まなかったのだ。
ハードルを越え、理想に近づくための『何か』を。
様々な話をして行く中で、最大のネックになっているものがわかった。
それは家族との確執である。
両親、並びに弟は、私とは全く違う人種である。
弟は父親に似て、都合の悪いことは無視できる性格である。
それ故、私とは十数年間会っていない。
姉である私のことはどうでも良いわけではなくとも、会わない関わらない方が楽だと考えているようだ。
両親から洗脳されているのもあり、私のことはクズでしかないと思っている。
綺麗事を言うつもりはないが、私は弟を溺愛していた。
それなのに冷酷な両親に耐えられず、十六歳で弟を置き去りにして実家を出た。
その時点で私は弟にとって裏切り者であり、姉弟の関係は終わった。
弟は私を必要とはしていないことに気づいたのは、つい最近のことである。
何故なら私は谷塚に住み、弟は北千住に住んでいるにも関わらず、全く会ってはくれないからだ。
親の葬式でしか今後会うことはないだろうと思っている。
まぁ、根っこにあって一番根深いのは、母親の問題なのだが。
昔ある時、私にこう言った人がいる。
「刀を捨てろ!」
今まさに同じようなことに直面している。
宮本武蔵が刀を振り回していたように、私は池袋に通い、海産物を売り捌き、夜な夜な毎日のように文章を書いている。
果たして刀を捨てたら私は楽になれるのだろうか?
海の中をもがいている私は、もがくのを止めたら生き甲斐を失うことに繋がる。
だとしたら、このままもがき続ければいいのか?
それは傍から見ていても、ある意味苦しいことかも知れない。
今がまさに根深い問題に向き合って解決の糸口を見つけるべき時。
そう簡単には見つかるはずもない。
成功者や権力者が私から見てたまに滑稽に映るのは、本音を隠しているようだからだ。
本音で体当たりしている人は、策略が無い限り世を上手く渡れないらしい。
では、策略とは何ぞや?
きっと先輩の笑顔が歪み、私の目を直視しなくなったのは、私が核心を突いたからだ。
成功者って云うのは、きっとそんなヘマはしない。
だから私はもがき続けていて成功しないのだろう。
まぁ、何を以て成功と呼び、何を以て敗北というのかは謎だが。