nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

欲しいなら与える

帰宅が午前様になってしまった。

友達と上野のアメ横で飲んでいた。

三軒はしごしてしまった。

思いの外酔ってはいない。

翌日の仕事が休みなので、本当に良かった。

上野ではめちゃくちゃ楽しい時間を過ごすことができた。

帰りはあいにくの雨だったが、無事に帰宅してパソコンに向かっている。

最近生活リズムが乱れ、睡眠不足が続く。

でも、何故か元気だ。

そもそも、これを書かないと寝られない。

こればっかりは、自分に課したこと。

スルーするわけには行かないからだ。

 

 

たぶん私が少々のことでへこたれないのは、散々と嫌な目に遭ってきたからだ。

所謂、ブラック企業で働くことが多かったというのもある。

ましてやブルーカラー労働者がほとんど。

態度も口も悪くて当たり前のような環境で育った。

だから免疫が付いたんだと思う。

それと、全てはこの性格にありき。

明るく、素直で、優しく、真面目で、活発だからだ。

周りも私の足りないところにイライラしても、きっと憎めないはずだ。

私ごときは、勝手にそのように解釈している。

これを自己肯定と言わずに何と言う?

一時期は落ち込んで、介護の仕事は私には向いていないのではないかと考えることもあった。

しかし、慣れていないだけではないか?と考え直した。

身体が疲れていると、心まで疲れてしまいがち。

かといって、倒れてもいられない。

仕事を辞めるわけにはいかないのである。

天は私にこう言っている。

 

「働き続けてスキルを身に付けろ!」

 

確かにその声は受け止めている。

困った時は天と会話すると決めている。

そして、最後には自分の直観を信じる。

ところが、私には軽く被害妄想に陥るクセがある。

そのような時は直観が当たらないので、やはり天と会話するに限るのだ。

 

 

私は慎重派ではない。

どちらかと云うとダイナミックな行動に出る。

その様は潔すぎて人々が着いてこれないほどだ。

悩んでいる時は、恐らくタイミングではないのだろう。

虎視眈々と狙いを定め、一気に畳み込むことを得意としている。

だから劇的な人生を歩むこともできた。

タイミングが見えない時はじっと耐え忍ぶ根性も身に付けている。

それなのに何故、成功しないのか?

そもそも成功とは何か?

いや、もう既に成功しているのだろうか?

成功なんてものに執着し、価値があると思っている人のことを傍から見て愚かに感じるのは私だけだろうか?

一番大切なことは小さな成功体験を積み重ねることだと思う。

 

 

稼いだ金で生活をすること。

一定数の人から支持されていること。

夢の実現に向かって歩みを進めていること。

愛する人がいること。

友情を育んでいること。

大切なものだけに囲まれていること。

 

 

これってある意味私のことじゃん。

しかも、多くの人に当て嵌まることだと思う。

あとは、運とタイミングとはよく聞く話。

そのために必要なのがルーティンであると云うわけだ。

だからこそ、私は滑稽なほどに毎日書くのである。

ビートを刻むように、自分に言い聞かせるように。

真夜中だけどルースターズでも聴きたくなった。

ロックを聴くと「勝った」気持ちになれるからだ。

何かと勝負しているわけではないのに勝利の余韻に浸ることができる。

わたしゃ、世界一のラブソングが聴きたいよ。

私にできることは大どんでん返し。

誰もが予想もしなかったようなことを、やってのける。

最近私が覚えたことの一つはこれだ。

 

「欲しいなら与える」

 

カーッ!!

遂に来た!!

わかっているようで、ずっとわからなかったこと。

もしかしたらわかってしまったかも知れない。

これさえわかれば無敵なんですけど。

丑三つ時に書くのも悪くないね。

かえって脳が冴えるようだ。

私の気分も日替わりだ。

人生哲学は本で学ぶのではなく、私の場合は実体験に限る。

欲しいからまずこちらから与えてみた。

それだけで、ハッピーになれたよ。