nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

決意と挑戦

今日は「決意と挑戦についての話をする。

先ほどまで翻訳者さんとの打ち合わせだった。

実に充実した内容のお話ができて、とても良かった。

やはり着々と物事が進んでいることが実感できると、人間は安堵するものだ。

私の「キャラ」について十分すぎるくらい理解を示してくれている。

なぜならかれこれ六、七年に及ぶ私の大事な読者でもあるからだ。

これからも長いお付き合いになると思うので、大切にしたいと思っている。

 

 

というのも、今はまだ漠然とした考えに過ぎないが、生活の拠点を海外にしようかなとも考えている。

日本が悪いと言っているわけではないが、私は広い世界に行ってこそ居場所を見つけられるような気がしてならない。

金のこと、生活のこと、言語のこと、不安材料は多々あり、実現も厳しいかも知れないが、薄々気づいている。

何に気づいているかと言うと、このまま日本にいてもダメかも知れないということだ。

恐らく食べて行くことはできて、生き延びることは可能かも知れないが、生命燃焼という面においては、無駄な時間を過ごすことになるのではないかなと思う。

一生をかけて、自分の命を燃やし尽くすことは非常に大事なことだ。

そうでなければ、私みたいな人間は路頭に迷うのみ。

できることなら僅かな可能性に懸けてみたい。

住む国を変えるだけで、もしかしたら単なる変わり者では終わらなくなるかも知れない。

とはいえ、私は日本を出たことがない。

つまり海外旅行にすら行ったことがないのだ。

なぜなら私の中には目的を伴わない「旅」という概念がないからだ。

大切な人に会いに行くためや、墓参りなど、目的がない単なる娯楽に興味がないのだ。

観光スポットを巡ることにも興味がないし、美味しいものを食べることやお土産ショッピングなどにも興味がない。

単に、離婚を経て、人生のやり直しを考えた時に、無知だからこそできる無謀な挑戦がしたくなったのだ。

私が海外に対して完全なる無知であることは、恐ろしい勇気を産むことができる。

しかも、私には日本にいても守る者がない。

ぶっちゃけSNSなどは海外にいてもできるわけだ。

だから、発信元が変わるだけで皆の前から姿を消すわけではない。

 

 

来年の一月、祖母の三十三回忌で沖縄へ行くのがいい節目になるかも知れない。

それが済めば、残るは『破壊から再生へ』の海外出版を待つのみ。

前にも述べたが、言語の問題は大きな不安要素でもある。

しかし、右も左もわからない状態で、無知という最大の武器を利用して飛び込んでしまえばなんとかなるような気がしている。

無謀だろうか。

 

 

海外に詳しい数名とも話をさせて頂いたが、蓮さんの作風や生き方や性格は日本より海外へ行った方が受け入れられるとの話だった。

『破壊から再生へ』の海外出版に関しても、日本人よりイギリスを含むヨーロッパの人々に向けた方が需要があるのではないかというのが発端だった。

海外で生活したことがある友人は何人かいるので、相談させてもらいながら、タイミングを狙って飛び込んでやろうかと、そう思っている。

なぜ、四十歳過ぎて無謀な挑戦をするのかについては、理解されなくて当たり前かも知れない。

しかし、日本に四十二年間いて、未だに居場所となるものを見つけられず彷徨っている現実を目の当たりにすると、納得する人もいるかも知れない。

単身で海外で再スタートを切り、自分の可能性の伸び幅に懸けてみるのは、大きなチャンスを掴むきっかけになるかも知れない。

または、私が日々書いていることにも説得力が増すかも知れない。

今ほどに自由と限界を感じることも、なかなか無かった。

そう、私はこうして一人文章を発信し、作品創りをしているけれども、「壁」のようなものを感じざるを得ないのだ。

限界。

まさにそれだ。

国外追放されたと思えば、気も楽だろう。

日本には私の椅子はない。

もしあったら、とっくに見つけられたはずだ。