nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

愛すべきクズ

先日誕生日だった友達と、朝までチャットしていて徹夜した。

徹夜はたまにやらかすのだが、仕事で徹夜しているわけではない。

コミュニケーションを取っているだけに過ぎない。

徹夜する度に思うことは、夜はあっという間だということだ。

その前の日打ち合わせがあって、帰宅が遅かったのもあり、時間が押してしまったのだ。

それでも六時間ほど睡眠を取り、昼過ぎには編集作業に取り掛かった。

〆切りまで本当に時間がないのである。

それなのに、私はこれからまた別の友達と飲みに行こうとしている。

滅多に会えない人なので、このチャンスを逃すのは勿体無いように感じたからだ。

せっかくの機会だから、うんと楽しんでこようと思っている。

ブラックコーヒーを二杯飲んだら、眠気も吹き飛んだ。

 

 

 

そうそう、先日打ち合わせ中に母さんから突然電話が鳴った。

なんやら東京に用事があるのでそのついでに私に会った方が良いかと思ったとのこと。

いやいや、それは嘘だと直ぐにわかった。

今年に入ってから、一度も電話していなかったし、心配しているのだろうと思った。

二十五日と言われ、その頃ならもう『ロックンローラー』の執筆は終わっているので会うことは可能だと判断した。

北千住で会うことになった。

北千住なら近いし、できることなら沖縄料理の店へ行ってみたい!

久々に会うので、今から楽しみである。

母さんからしてみれば、気になることが山ほどあるはずだ。

全てを語るつもりはないにせよ、身体のこと、生活のこと、仕事のこと。

母さんに会うために、春服の一枚でも買いに渋谷まで行きたいと思った。

というのも、誕生日を迎えた友達にプレゼントも買いたいのだ。

最近どのようなものが流行っていて、どのようなものがその子にとって喜ばれるのか私にはまるでわからない。

だから、最近親しくさせて頂いている若者に相談してみることにした。

母さんにプレゼントは要らないと思っている。

諸々の報告と元気な姿を見せることが、最大のプレゼントだと思っている。

 

 

そもそも東京に来る用事ってなんだ?

私のことが心配だから会いに来ると言えばいいのに。

母さんは絵に描いたような正直者なので、嘘がバレバレなのである。

だが、その嘘には愛を感じた。

人間は愛を以て嘘をつくことが往々にしてある。

また、愛があるからこそ敢えて身を引いたり、嫌われようとすることもある。

少なからず私はそうだ。

私みたいなクズ女を相手にするのではなく、まともな人と一緒になればいいじゃないかと思うことが多々ある。

そんな自分を顧みた時、もしや私がクズに惹かれるのは、自分に相応しいと思っているからなのでは?と気づいてしまった。

私が付き合ってきた人の大半はクズ。

だけど、そんなクズに魅力を感じたのは事実。

男運が悪いとか、そういうことではない。

クズにはクズを、の原理原則だと思った。

ただ誤解して欲しくないのは、これから好きになる人はクズではないかも知れないということ。

どちらかと言うと、私は私のことを良い方向に導いてくれる人を求めている。

そういう人はきっとクズではないはずだ。

 

 

またこんなこともある。

私は友人や仕事のパートナーや読んでくれている方々に対してすこぶる優しい。

ところが、一人の男を心の底から愛し、尽くし、幸せにしてあげることができない人間だ。

これをクズと呼ばず、なんて呼ぶのだろうか?

とはいえ、最近色んな場面で色んな人に「私はクズ」と言いまくっているので、ただでさえ低い自己肯定感が失われつつある。

そこで考えたのが、キャラ設定だ。

クズはクズらしく、クズとして真面目に生きればいいということだ。

そしてクズである私のことを好きになってくれる人と共に歩めばいいのであって、私を変えたいと思っている人ではきっと苦しくなる。

つまり、クズでも愛されるクズを目指せばいいのである。

クズにとっては励みになるだろ?