nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

寂しさを突破

朝遅く起きて、用事がなかったのでレモンサワーをチビチビ飲んでいたら気持ち悪くなってしまった。

布団に入っても眠れない。

ゴロゴロダラダラしていたら夕方になってしまった。

腹が減ったのでラーメンを食べたら、マシになったのだが。

マッシブアタックという聴き慣れないがめちゃくちゃカッコいい音楽を聴きながら、暗闇でこれを書いている。

日中はチビチビ飲みながら親しい間柄の人と電話していた。

話をしている最中は、そうだこのことを書こう!などと思い付くのだが、メモを取っていないため、電話を切ったら忘れているという始末。

やれやれ。

ラーメンを食べて復活したと思ったけど、胃のキリキリはなんとなく思い出されたようにやってくる。

寝なきゃ治りそうにないので、今日は早めに書くことにする。

夜中まで起きていて寝付けない日々が続いた。

そりゃ、朝起きれないわな。

 

 

よく毎日書くわね、などと言って戴くことがある。

勿論ネタに困ることはあるけれど、思ったこと考えていることを半ば嫌われる覚悟でそのまま書いている。

調子のよいことも、ネガティブなことも、書いたもん勝ちだと思っている。

既婚者だった頃は、旦那への不満とか職場の愚痴とか、スケールの小さいことを書いていたような気がする。

だけど最近は、極めてリラックスして生きられるようになった。

以前ならば遠ざけていた人のことも許せるようになったし、文句も出なくなった。

もっと言うならば、以前なら絶対に付き合わないような人とも付き合えるようになった。

たった一人で部屋にいても寂しさを感じたりすることもなくどこか満たされている。

ソワソワ落ち着かなくて誰かに電話してしまうようなこともなくなった。

そもそも、私には親のせいにするという概念がない。

出世できないのも成功できないのも、自己責任である。

教育が受けられなかったとか、環境が悪かったとか、そんなことを嘆くようなヤツだからダメなんだと思ってしまう。

どんな状況下に置かれても、どんなに叩きのめされても、必ず立ち直り這い上がってくることができる。

そういう奴等に共通していることは、人のせいにしないということだ。

これは私にとっては簡単なことなのだが、そうじゃない人も多いようだ。

まぁ、何一つ成功していない私が言っても説得力はないのだが。

 

 

とにかく大らかになったのかも知れない。

少しでも太ったら、ピリピリして食事を大幅に減らしたりしていたのだが、そういうこともなくなった。

いいじゃないの、と笑っていられるようになった。

ある意味ストイックだった私が歳を取っただけかも知れない。

中には、オバさんの始まりだと言う人もいるだろう。

だけどそんなヤジすら気にならなくなった。

何を言われようが、どう思われようが、嫌われようが関係ない。

これは強気と言うのであって、大らかさとはまた違うのだろうか?

だけど細かいことは気にならなくなったということだ。

先にも述べたが、だからこそリラックスして生きられるようになり、本当に楽になった。

つまりこういうことだ。

単刀直入に言えば、孤独や寂しさや不安や焦りを突破してきたということである。

かといって、私は人付き合いが得意というわけでもない。

緊張していたら疲れるし、口下手なところもある。

それでも、以前に比べたら、いちいちメソメソすることもない。

人間なんてこんなもんであり、過度な期待はしてはならぬと考えている。

 

 

とはいえ、人の話はよく聴くようにしている。

特に私の作品に対する感想については真剣に聴く。

なぜならそこには私への愛が込められていたり隠されていたりするからだ。

それは批判でもなければ、苦言でもない。

柔らかな言葉からは涙が溢れることもある。

いつも言うけれども、私は皆へのメッセージを書いている。

そんな私も多くの人からアドバイスをもらって生きているということだ。

 

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