nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

守りには入らない

静かな部屋で、音楽も鳴らさず、酒も飲まず、こたつの中で壊れかかったパソコンに噛り付いていた。

朝から晩まで、ひたすら過去作の手直しをしていた。

もう夢中になってやっていた。

聞えるのは換気扇の音と時計の秒針が動く音だけ。

気づいたら十九時を回っていて、慌ててこれを書いている。

何だか誕生日などたかが通過点に過ぎないような気がしていた。

しかし、実際には盛大なものを求めていたのかも知れない。

一人で過ごすのは何となく物足りないものだった。

かといって、酒を飲んで具合が悪くなるのも嫌だった。

だから赤ワインを諦めて、これを書く。

 

 

誕生日の朝、パソコンが不調を訴えた。

最近、突然シャットダウンする現象は確かにあった。

それでも緊急性はないだろうと思っていた。

ところが、現実的にはもう寿命だったようだ。

 

「ミーン、ミーン」

 

何だ一体この音は?

そして画面がフリーズして真っ暗になり、シャットダウンだ。

私は約四年ほど前、元々使っていたノートパソコンのキーボードが壊れてこのパソコンを買った。

キーボードの叩きすぎだった。

当時、とてつもなく金がなかったので、価格ドットコムで売られている一番安いものを買った。

それでも四年間使えたのだからという理由で、今回も同じことをした。

迷うこともなく、『ASUS』というメーカーの一番安いものを買った。

二十日に届くので、それまでにデータの管理などをしようと思っている。

え?仕事道具なのに一番安いもので大丈夫?

そう思われるかも知れないが、十分なのだ。

文章を書く以外のことには使わないからだ。

 

 

そうそう、歳を重ねて思うことがあったので書いておこう。

見た目じゃなくて文章が老けるということはあるのだろうか?

最近、びっちり過去作と向き合っているのだが、確かに文章が若い。

飛び跳ねているような感覚。

文体などめちゃくちゃなんだけど、生き生きしているような気がする。

主義主張は変わっていない。

でも若さを物凄く感じてしまうのは何故だろう。

そう思った時、歳を重ねるのが怖くなった。

感性が衰えるのも怖い。

十年前に見た景色に今でも感動するか?と訊かれたら微妙だ。

この一年間、私はパソコンの前ばかりで、綺麗な景色を見ていなかった。

忙しかったし、一緒に山や海へ行く相手もいなかったような。

すると、感性が鈍るかも知れない。

確かに金はかかるけど、綺麗な景色を見たり美味しいものを食べたりして感性は磨かなければならない。

そう考えると難しい。

金と感性はイコールなのか?

いや、そんなことはない。

 

 

肝心なのは、守りに入ってばかりではダメだということ。

金があろうがなかろうが、足を運ばなければならない。

常識的に考えれば、本を出すのにも金がかかる。

旅行に行くのも金がかかる。

最大の言い訳は「生活」だ。

かといって仕事ばかりしていては、私みたいな人間は本末転倒。

後悔を残さないためには、攻めの生き方が必要だと思っている。

一通り経験すると、失敗などこの世にはないということがわかる。

手を出すんじゃなかった!みたいなことはよくある話だが、回り回って自分のためになっているものだ。

守備意識が強い人ほど損をしているように見えてしまう。

ワクワクする方にアンテナを張っていれば、自ずと答えは出る。

逆に少しでも違うと思ったら、それが答えなんだろう。

決断して一歩前に進むと勝った気持ちになれる。

そこで後ろを振り向くから「あれ?」と思う。

背中を押してくれた人達はもう姿を消しているからだ。

ところが歩き続けると、後ろではなくもっと先の地点で手を振って待っていてくれる。

それを信じるかどうかは自分次第。