nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

期待を背負う

見学会や説明会があって、そのまま実務になった。

結局二十時まで研修して会社を出た。

朝ご飯しか食べてなかったからめちゃくちゃ空腹で、池袋駅の立ち食い蕎麦屋で月見蕎麦を食べた。

仕事内容はなかなかヘビーだったが、慣れたら何とかなりそうな気もする。

まずはコールセンターの仕事に慣れ、会話上手になることだ。

実は海産物販売の仕事と、スカパーのクレーム対応の経験があるので、期待されている。

初日から契約を取るなど、なかなかの活躍ぶりを見せている。

 

「橋岡さんは声が綺麗で相手に届く」

 

などと言われ、化粧品販売の仕事では好成績を収めるに違いないなどと評判になっている。

パソコンのモニターの前で見えないお客様に対して頭を下げることはできるので、なんとかクレームにだけは繋がらないような対応がしたい。

また、ビルの目の前に喫煙所があり、休憩中はそこへ行くことができた。

喫煙者が多く、喫煙所での話がまた楽しかった。

従業員は若い人ばかり。

私が一番年上だろう。

上司でも私より年上はいなかろう。

駅から少々遠いのだが、道を覚えてしまえば苦にはならないはずだ。

しばらくここでお世話になり、ここで活躍することになるのだ。

馴染みの店を探したいが、寄る暇がない。

まぁ、池袋ライフを満喫しようと思っている。

 

帰りの電車はガラガラ。

山手線が空いているなんて驚いた。

会社から池袋駅までかなり迷ったので、遅くなってしまった。

上野で乗り換えだが、勿論寄る暇はなかった。

 

スカパーのクレーム対応は、三十二歳の時、札幌で家がなくジムニーの中で寝泊まりしながら通った職場だ。

札幌にしては時給も良かったが、ジムニー生活は死ぬほど寒かった。

まだ春になりたての頃で、気温は六度くらいだった。

入浴は銭湯へ行き、食事はセイコーマートのお惣菜と酒だった。

何のためにもならないような仕事と経験をしたつもりでいたけど、今になって役に立つとは思いもしなかった。

しかもその頃、子宮頚がんを患っていたのに保証人の問題で手術できないと途方に暮れていたのである。

にもかかわらず、『破壊から再生へ』を書いていた。

何というタフさ。

当時は書きたいことで溢れていたのかも知れない。

また、書かなきゃ生きるモチベーションを維持できなかったのかも知れない。

 

「橋岡さん、スカパーのクレーム対応は辛かったでしょう?」

 

上司からそう訊かれた。

私は会釈するようにコクリと頭を下げ、ニッコリと笑った。

いやいや、一番辛かったのはジムニー生活だよ!と思ったが、若かった頃の話を心の中だけで懐かしんだ。

 

 

さて、来週の月曜日から本格的にスタートする。

忙しくなるので、今週中に身の周りのことは済ませておかなければならない。

週末は、御嶽山に一泊二日で旅行へ行くことになった。

八名〜十名ほど参加するようだ。

朝早く家を出て、翌日夜遅くに帰ってくる。

私が社会復帰したことを神が祝福してくれているようである。

御嶽山では、二十時からインスタライブを行う。

今回はコラボ配信企画である。

お忙しい中恐縮だが、お時間空けておいて頂けたら幸いだ。

 

 

帰宅後は、翻訳者さんと『破壊から再生へ』の翻訳の打ち合わせをさせて頂いた。

約一時間半の打ち合わせだったが、とても有意義だった。

翻訳も最後のページまで進み、来年の早い段階で海外出版が実現しそうである。

一日フル稼働は久々だったが、実に清々しい気持ちだ。

闇から抜け出して、ようやく光が差し込んできたような実感がある。

来週からはとにかく忙しくなるだろう。

だが、楽しみも沢山あるのでそれを励みにやって行こうと思う。

つまり、私の本領を発揮できる日が待っているということだ。

闇の先は光しかないということも証明しなければならない。