nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

自分のために生きる

長崎では大歓迎され、長崎に移住して来て欲しいと猛烈アプローチを受けている。

当たり前かも知れないが、淡い期待をさせてしまうのが嫌で、最初はここに来ることを躊躇っていたのもある。

やっぱりこうなったか、と思った。

食べ物は美味しいし、長閑だし、静かだし、とても良いところである。

ただ、私はここで一体何をすれば良いのか。

こうして客としてくるのと、完全に移住してしまうのでは扱いも違うだろう。

ジェットコースターのような日々とは一変、田舎特有の悩みのようなものも出てきそうな気がする。

私は下見に来たのではなく、骨休めに来たのだ。

そして、来る前から一週間後には自宅へ戻り東京で働くと決まっていたように思う。

九州へ逃げてきたのではなく、再び戦場で生きるために、英気を養う目的だった。

激務を乗り越えて、九州へ行き、パワーアップしたかったのである。

現地の人に私はどう映るのかわからないが、人気者は困るねぇ。

お年寄りにまで私は人気者だから参る。

認知症が進んでいるというようなことを聞いていたが、そうでもなく、とてもしっかりとした方である。

言葉やタイミングを選びながら、私に対して失礼にならないように猛烈アプローチをしているのもわかる。

それに対して、私も真剣に聴く体勢で話をしている。

とはいえ、移住する気持ちにはまだなれない。

一週間一緒にいたら、変化するのだろうか?

 

 

ふと気づいたことがある。

ここの方達は、私が自分の部屋に籠ってパソコンに向かっていることを知らないようだ。

だから、部屋で退屈していないか心配なようだ。

外へ連れ出してくれて、ドライブしてくれて、一緒に昼ご飯を食べたり買い物したりした。

午前中に出たのに、帰宅したら十七時過ぎていた。

モタモタしていたら夕飯である。

あぁ、今日も時間がない。

私はダラダラ寝て、ダラダラパソコンに向かったり本を読んだりしたいのだが、お気遣いも嬉しいわけで。

プロでもないのに、執筆活動などと言うのも照れくさい。

とても疲れていると言ったら、余計に気を遣わせてしまう。

少々予想していたが、もしかしたら現地の方々と仲良くなることはできても、芯から休むことはできないかも知れない。

 

 

東京にあまりいいイメージは持っていないようで、どこへ行っても同じだが、長崎でのんびりと生活してみたら?と言う。

確かに悪くはないし、池袋での激務を続けていたら、マジで身体を壊すかも知れない。

だけど、しんどいしんどいと言っているくらいの方がバランスは取りやすく、心は折れにくいのである。

普段はあまり小言や愚痴を言わない私だが、田舎の嫌な面を見てしまうと不満だらけになってしまう。

そんな自分も嫌なのだ。

 

 

些細なことで衝撃を受ける。

洋服など穴が空いていてもなんとなく着てしまうそうだ。

私はギリギリ去年買ったものなら着るが、二年前のものは傷んでもいないのに断捨離してしまう。

シーズン毎に服を新調することが楽しみだから。

毎日買うか外食かと言ったら、ドン引きされてしまった。

給料はいいけれど、スーパーの営業時間内に帰れないので仕方がないと言ったら驚いていた。

かといって夕方五時に終わる仕事を近所で探しても、給料はそれなりで、世の中って上手くできているものなのだ。

どんな仕事もどんな土地も一長一短で、これまた上手くできているものだ。

長い目で見れば、長崎で暮らして仕事を見つけることも悪くはないが、踏ん切りがつかないのは、少しずつ池袋の仕事に慣れてきて数字も上がり始めて面白いからだろう。

私っていつの時代も自己中、人のために生きるなんてできない。

だから、これからも自分のためだけに生きる。

たとえ、その結果孤独になったとしてもね。