結局こちらでは、先日も書いたが、お年寄りに大人気。
親しみやすいのと、真剣に話を聴くところがポイントなのだと思う。
いい人ぶってるつもりは更々ない。
お世辞もおべんちゃらもなしで、ただこちらとしても楽しく話を聴いたりしているだけだ。
私の話もかなり深いところまでしている。
今までの生き方の話や、仕事のことなど。
ただ難しい話はしていない。
例えば、本を書いているなどと言うとびっくりするだろう。
自費出版と商業出版の違いも恐らく伝えられない。
作家さんだと思われても困るわけで。
だから私からは休暇に来ているとしか言っていない。
一番の目的は、骨休めであり、疲労回復であるのだから。
きっと、客である私を退屈させないように一生懸命なのだろう。
日頃、運転などもうしないのに、遠出して日帰り温泉に連れて行ってくれたりした。
お湯はスペシャル級のお湯で、古びた温泉だったが最高だった。
タオルも着替えもシャンプーもメイク落としも持ってきていなかったが、とにかくカラスの行水の私がじっくり浸かってみた。
すると、本当に疲労が取れるような気がしてとてもありがたかった。
帰りにスーパーへ行き、ウナギと缶ビールを買ってくれた。
実は久々の酒で、めちゃくちゃ美味かった。
気づいたら、朝食から二十一時まで、ノンストップで話をしていることになる。
「蓮さん、長崎で働くとしたら何がいいのかしら?」
キタ~!
実にリアリティな質問。
「ドコモショップですね」
それしか思い浮かばなかった。
コールセンターはないだろう。
ドコモショップなら長崎とは言わず、日本全国にあるので、経験者の私は仕事に困らないことになる。
実は四月から都内のドコモショップで働きませんか?と誘われているのだ。
ところが、三月は休みがほとんどなく、研修を受ける暇がないのである。
だから、コールセンターを続けるのが一番楽な道なのだが、後々の自分の実績のことを考えるとドコモショップへ行きたい気持ちはあるのだ。
かといえ、こればっかりは流れに身を任せるしかないとは思っている。
どうなることやら、本当に神だけ知っていてズルいと思う。
神様が独占するのではなく、私にも教えてよみたいな。
とある友人がこんなことを言っていた。
「蓮さんは独立自尊で生きて行ける人」
これを聞いた時に、なるほどなと思った。
蓮さんは人に優しいけど、孤独でも生きて行ける人だってさ。
それは仰る通りだと思う。
そこでとんでもないことに気づいてしまったのだ。
私の中にある寂しさの消滅である。
何だかんだで、寂しい気持ちもあり、人恋しさもあるにせよ、昔ほどではなくなっている。
ここで暮らす人々の方が、家族で過ごしているとしても、私の寂しさの比じゃないよなと思った。
あまりにも孤独で、あまりにもそれは壮絶である。
私の孤独はあまりにも壮絶だが、アグレッシブである。
私ぐらいになると、孤独を武器に、世の中に喧嘩売って生きている節がある。
かといって、敵に回すような阿呆はせず、共存しているように思う。
旅の途中でそんなことに気づいてしまった。
私は東京だろうが、長崎だろうが、札幌だろうが、どこだろうが、どこでもそれなりに目的を持って生きて行ける。
どこへ行っても何をやっていても、たぶん蓮さんは蓮さんみたいなね。
東京で働く日々に舞い戻り、激務をこなし、新人賞の発表を待ち、一通りやることを終えたら、確実に自信に繋がると思う。
もはや新人賞を取っても、世の中のニーズに合った仕事を選ぶと思う。
世の中から物書きとして必要とされれば、どんなに貧しかろうがやるだろう。
何の仕事であれ、世の中から溢れることはないと確信めいたものがある。
それは何故かと云うと、独立自尊の確立ができているからだ。
もっと分かり易く言うならば、寂しさが消えつつあるからだ。