たぶん子供の頃から自己実現のことしか考えていなかったのかも知れない。
先日も書いたが、自分で自分をプロデュースし、自分で自分をアートすることである。
身につけたスキルで人に何か教えようというのは、実はやりたくないことかも知れない。
「やりたいことだけをやる、やりたくないことはやらない」
友達からそれを言われ、ハッとした。
確かに私は頑なに、やりたいことしかやってきていない。
やりたくもないことを我慢してやっていた記憶はあまりない。
コールセンターの仕事は楽しい。
仕事内容が楽しいのではなくて、切磋琢磨しながら皆と競い合い、数字と闘うことが楽しいのだろう。
派遣社員の立場ではあるが、遣り甲斐を感じ、プレッシャーもある。
会社の体制が変わって、数字を叩き出した者にはそれなりの報酬が出ることになった。
インセンティブや時給アップにも繋がるそうだ。
私、頑張らなければヤバい。
毎日泣きそうになるくらい全力投球しているが、数字が伸びない日もあるのは、欠けている部分があるからだろう。
それを突き止めて、スーパー営業マンになってやる。
文章を書くことは義務的なようだが、好きだから続いているのだ。
自己実現の最も手軽な手段だからだ。
はっきり言って、私にとってはピアノよりも何よりも、書くことが自己実現には近道である。
やりたいことは内面を表現すること。
毎日千五百文字の文章を書くことで、ある程度それはできている。
この道を選び、この道を歩く覚悟を決めたなんて堅苦しいものではない。
好きだからやっている、ただそれだけなのだ。
それなのにたまに自分が見えなくなってしまうのは、やはり雑音が耳に入るからかも知れない。
先日母さんに言われたように、趣味に金を使っても無意味だとかね。
あんた、私が子供の頃ピアノの英才教育させてたでしょ!!
ピアノを辞めたら裏切り者と言って、私のことを無視し続けたでしょ!!
きっと私が手の届かない雲の上の存在になっても認めないのだろうな。
大作家先生になっても、常識を振りかざし、個性を潰そうとするんだろう。
もしくはやかましいことは何も言ってこなくなる代わりに、再び無関心が始まるかも知れない。
私には敵など一人もいないが、永遠の敵は母さんなのだろうな。
なかなか辞めるに辞めれない会社で意地悪な上司に苦しんでいる人の気持ちがわかるようである。
誤解されているようなので仕方がないから追記させてもらう。
私はアートだけで食べて行きたいとは言っていない。
歩く芸術作品と言いたかっただけで、歩く芸術家とは言っていない。
この先アートだけで今の生活レベルを維持できるのなら、コールセンターはやらないね。
何故コールセンターの仕事に精を出すのかって、やはり金が欲しいからだがそれだけではない。
先にも書いたが、社会の中に居場所が欲しいからだ。
もっと言うならば、どこかの誰かから必要とされることを切に望んでいる。
やはり、生きていると自分の存在が不安になる。
これだけ毎日書くというルーティンをこなしていても自分というのは不確かなものである。
世の中に必要とされることと、それで食べて行くことは似ているようで違う。
自分をもっと偽れば、もしかしたら金になるのかも知れない。
でもそれじゃあ意味がないのさ。
あるがままの自分を受け入れてもらえなければ、そもそも自己表現などやる意味もない。
その道で食べて行けなないことは、それまでだってことだろう。
かといって何らかの仕事を持ち、社会の中に居場所があれば、死にたくなるようなことは避けられるのではないだろうか。
極端な性格なので、生きるか死ぬかみたいなことを考えがち。
しかし、仕事さえあれば生きている自分を責めたくなる気持ちは軽減されるのではないか?