見事に疲れが取れるものだから、休みの度に整骨院へ行くのである。
メンタルの疲れは酒と音楽で癒すしかないと思って『タイマーズ』を聴きながら赤ワインを少々飲んでいる。
これまた見事に仕事のことなどどうでも良くなる。
清志郎さんの歌声が如何にも世間を馬鹿にしていて、脳内がスッキリする。
音楽っていうものはこうやって聴くものなんだと改めて痛感する。
ロックにファンクが入ったサウンドが、神経にビリビリ届く。
ちょうど今、塩ラーメンを平らげたところだ。
よし、今夜は早く寝るぞとばかりにパソコンに向かってこれを書いている。
休日だって云うのに、朝昼晩自炊。
どうした私?
財布の中身がなかなか減らないぜ。
ATMに行く頻度が減ったぜ。
おまけに気持ちが落ち着くぜ。
ところでこう思うことはないか?
人に対して、
『私だったらこうするのに』
この想いが強ければ強いほど、人とは上手く行かない。
筋の通し方も人それぞれ。
わかっちゃいるけれども、ついついこう思ってしまう。
『なんでこうできないの?』
こうして私は多くの友情をぶった斬ってきた。
私には合わないってね。
私はこう思う。
自分がされて喜ぶことを人にしてあげればいいのではないかと。
例えば、髪型変えたら気付いて褒めてあげるとか。
お金に困っていたら貸すのではなくあげるとか。
相談されたら意見を言う前に聴いてあげるとか。
私は基本的に、私の文章を読んでくれていない人のことは眼中にない。
読んでくれていても、こういう風に書けみたいなお節介アドバイスをしてくる人のことも眼中にない。
私の好きに書かせろ!
好きにさせろ!
過去にこういう人がいた。
私のことが好きだと言っていた。
しかし、私の書いたものを読まない人だった。
文字を読むのが苦手でもないし書くことが苦手でもない。
ひょんなことがきっかけになり『ロックンローラー』を読んだそうだ。
そして私のファンになったそうだ。
私はここで何度も何度も、投稿くらい読めよって言ってきた。
着いてきてくれる人のことは裏切らない。
着いてきてくれない人のことは知らないと。
どうして蓮さんはフォロワーを増やそうとしないのか?みたいなことを言われるが、増やそうとしていないわけではない。
できることならもっと沢山の人に読んでもらいたい。
しかし、現状維持するのも大変なのだ。
増やすためには、また別の方法が必要かも知れない。
私としては書くことで精一杯である。
代わりに、広める努力をしてくれる人がいれば有難いのだが。
話を戻そう。
私と仲良くしたければ、私が書いたものを読むのが基本だろ?
それもしないで私を口説こうなんて百年はえーよ!
自分だったらこうされたら嬉しいのにと云うのを相手にしてあげるのが基本じゃないのか?
『私だったらこうするのに』
この想いが強いから、私は多くの人と深い付き合いに至らないのかも知れない。
とある人が言っていた。
価値観の違う人と一緒にいるくらいなら、一人の方がいいとね。
私は基本的に恋人が欲しいだけなのに、付き合ったら結婚のことまで考える。
何故なら、
『私だったらこうするのに』
一度関係を持つ前から、一生寄り添っていけるかどうかを考える。
何度も言うが、私ならそう考えて付き合って欲しいからだ。
上手く行かなくとも結婚前提で付き合って欲しいと思えば思うほど、誰とも上手く行かない。
人に期待したくはないはずなのに、知らず知らずのうちに期待しているから時として辛くなるのだろう。
正義感が邪魔するのかも知れない。
筋の通し方のわからないヤツはダメだ、なんて何様かと思うが筋の通らないことを受け入れられないのは私のキャパなのだろうか?