私の文章に需要があるのかないのか、決めるのは誰なのだろうかと考えてしまう自分がいる。
毎日飽きないように工夫はしているものの、イチローでさえ三割打者なのだから、私も毎日ヒットを飛ばせるわけではない。
ルーティンを自ら作って、それを大切に育てて継続することが大切だと言ったのはイチローである。
そうか!
そう思って私も夜な夜な投稿を書いて五時にアップするということをしているが、私はイチローではない。
ましてや、これは仕事でもない。
ただ私の自己満足でやっていることだ。
お総菜屋さんや魚屋さんなど早朝から働く人々にエールを送りたいという独断と、貴重な友人から「蓮さんの文章を読みたい」と言われ始めたこと。
しかしそれはそこには留まらず、愛するロックンローラー達の朝のエッセンスになっているかなと感じている。
ごくごく一部の人には、蓮さんの投稿を読んで一日が始まるというようなルーティンが浸透しているようには思う。
果たして、それは私の需要なのだろうか?
なぜこんなことを書くのかと言うと、今後の私に大きく影響するからだ。
以前、出版社からこう言われたことがある。
「橋岡蓮さんは、筆力、オリジナリティ、センス、可能性、将来性を兼ね揃えている」
処女作『破壊から再生へ』の原稿を読んだ営業担当の方がそう思ったそうだ。
私はこれを言われたのは初めてのことなので、思わず涙が溢れた。
かといって、読者の方が感じてくれなければ意味が無いとも思ってしまったわけで。
何故か不思議なことに読者の方は、このようなことを私には言わない。
当たり前だ。
作品が全てであり、出版社とは目線がまるっきり違うからだ。
私としては、本音の本音は『ロックンローラー』を出版社に買い取ってもらいたいのである。
そしてミリオンセラーにしてもらいたい。
それが本音。
果たして私の需要は本当にあるのだろうかと不安になる。
ところが疑いの余地もないくらいに完全に信じ切って、初めて願いは叶うのだとか。
私は来るべきところまでは自力で来れた。
だが、ここからは業界に頭突っ込んでも良くない?
むしろ、私だって時代に乗っかってもいいはずだ。
とある友人はこう言ってくれた。
「蓮さんのように長文を毎日SNSに載せる人はあまり見たことがないから、もっと需要があってもいいはずだ」
そうだそうだ!
需要があってもいいはずなのだ。
もっと言え、もっと言え!!
私へのエールは募集中!!
底辺でずっとずっとくすぶっていた私。
何年も毎日書いていても、本を出しても、なかなか日の目を浴びなかった私。
それなのに、やめない私。
なんでだろう、と不思議に思うかも知れないが、それは自分の才能を信じているからだ。
こんなはずじゃない、こんなはずじゃないと数年が経った。
来年辺り、ドカンと初花火を上げられるような気がしてならない。
何故なら、地獄の時を抜けたからだ。
やっと光が差し込み、希望が見えてきた。
ただ、ここから先もっと伸びるためには勝ちに行かなくては。
今までは賞なんて取れるわけがないと応募する前から諦めていた。
しかし、これからはガンガン応募して賞を得るぞ。
目指すは群像新人賞だ。
村上龍氏のファンレターにとあることを書いたことがある。
それは十年前に遡る。
「いつか一緒に仕事がしたいです」
私はそう書いた。
こんなふざけた夢だって群像新人賞を取れば叶うかも知れない。
そこまで行けば、私の道は自ずと開けて行くだろう。
結局需要云々と書いたがそうじゃなくて、読者の方々の期待を裏切らないってことなのかな。
このまま売れっ子にならないで、俺だけの蓮さんでいて欲しいと思ってくれる人がいれば、それはそれで嬉しいけどね。
私は相手がどんなに売れていても、私だけのものだと思い込めたりするのだが。
『破壊から再生へ』も『ロックンローラー』ももっと広まるべき本。
そのためにはどうすれば良いのかをずっと考えているのだ。