nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

どこへ行くのか

子供の頃はあらゆることを『凄い!』と思っていた。

自分と他の子を比べたり、大人と比べたりしながら、とにかく『凄い』と感じていた。

ところが、大人になると自分があらゆることをこなせるようになる。

すると『凄い!』と思う気持ちが消えていることに気づく。

だが、私は職場の先輩や元ホストの仕事ぶりを見て『凄い!』と思って感動している。

私もあんな風に仕事ができるようになれば、随分楽になれるんだけどなぁ~なんて思いながら二人を見ている。

そして、私も頑張って二人のようになりたいと日々願っている。

大人の私が誰かに『凄い!』と思えることって素晴らしいと思わないか?

仕事ができるヤツは、仕事のために生活しているそうだ。

私があまり酒を飲まなくなったのもそうだ。

家で仕事をすることはないけれど、家に帰るのはエネルギーチャージのため。

そう、翌日最高のパフォーマンスをするための準備をしているのだ。

それなのに休み明けは私は数字がなかなか出せない。

それは何故だろう。

脳と身体が休みモードに入っていてそこから抜け出すのに時間がかかっているのだと見ている。

営業の仕事は、とにかく数字。

数字さえ出せば楽になれる。

自己肯定もできる。

穏やかな気持ちになれる。

じゃあ、オフはどこに設ければいいのか?

それが上手く行かず、私はこの数ヶ月間誰にも会わなかった。

仕事に集中していた割には成績を上げていない。

だったら、たまには自分を解放した方がいいんじゃないだろうか?

そんなことを考えていた矢先に、古くからの友人が飲みに誘ってくれた。

 

 

正直に言おう。

この数ヶ月間、すこぶる寂しかった。

大谷選手やイチローみたいに仕事に集中して結果を出せるならまだしも、パッとしないまま一人で過ごす日々はある意味過酷だった。

前にも書いたが、職場の人はただの同僚でしかなく友達ではない。

社会の中で自分の居場所も定まらないまま孤立しているような感覚だけがあった。

自分を慰めるために、私はひたすらプロントへ通った。

毎晩たった千五百円程度しか使わないが、ちょっぴり罪悪感も感じていた。

自分のためになっているのかどうか謎だったからだ。

金を使っては溜息、仕事が終われば伸び悩んでいることに対して溜め息、帰宅すれば誰もいないことに溜め息。

いっそのこと社畜になりたいと思った。

何かに拘束され、縛られ、逃れられないようにする最大の近道は社畜だと思った。

社畜になれば、居場所のことなんて考えなくて済む。

寂しさを感じる暇もなく、仕事に打ち込むのは一番手っ取り早い逃げ道だ。

社畜になって、会社の人とだけ仲良くして、まるで友達気取り、一歩間違えればファミリーである。

一人社会で孤立しているよりは、ずっとずっとマシなように感じる。

社畜になりたくてもなれないのは、私の性格的な問題と、年齢と、一応ながら書くことがあるから。

仕事後、毎日同僚と飲むわけにもいかないのである。

 

 

だったら、つべこべ言わず、今のポジションに耐えるしかない。

考えている以上に社会的自立とは難しい問題である。

経済的自立は多くの人ができることだが、精神的な自立とはどこからどこまでを言うのか考え深いところ。

自立した者同士しか恋愛できないと言う作家もいたような。

目指すはプロの営業マン。

だとしたら、このポジションに耐え、一切の娯楽を絶ち、ストイックに日々を過ごすしかないかも知れない。

いや、最高の営業マンはいつも笑っているようにも思う。

あれ?私ってどこから来てどこへ向かおうとしているのだろうか?

『この鳥達がどこから来てどこへ行くのかと同じさ』

あぁ寂しさを誤魔化しきれないまま、不器用な私は常に一人。

誰かに埋めて欲しいなんて思わない。

ただ時に、寂しさを忘れたくなることだってあるのさ。