nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

遠くの空を眺める

恋煩いか、仕事のストレスかわからないが、ここ最近精神的に不安定だった。

イライラし、不安になり、極度に緊張し、そしてとてつもない疲労感。

このままでは今迄通り仕事ができなくなると確信した。

恋だって上手く行かなくなるだろうと思った。

そこで私は焦るようにかかりつけ医のところへ行った。

症状を伝え、薬を処方してもらった。

私は薬中患者のように、もらった薬を飲むために自動販売機でお茶を買って、パチンコ屋の駐車場横の喫煙所で慌てて飲んだ。

すると、約十分か十五分経つとイライラがピタッと止まった。

お陰で非常に穏やかな気持ちで整骨院へ行き施術を受けた。

そして友達と電話で話したりすることもできた。

一体なんの薬だ?と思って調べてみたら陰性症状に効く薬だそうだ。

つまり、意欲減退とか感情鈍麻に効くのだそうだ。

意欲か…。

確かに仕事へ行くものの、意欲の欠片もなかった。

それなのにお客さんを説得し、契約を取るなんてよくできたものだ。

 

 

ただ頓服薬一つでは根本的な解決にはならない。

様々な要因があるとは思う。

根っこから叩きのめさなければ、私の孤独は増す一方だ。

正義感が強く、はっきりと物申す性格は損をしがちである。

もしこのまま行けば、先輩との恋愛も成就しなかったかも知れない。

せっかく縁があっても正論をぶちかましていては逃げられてしまう。

正しいかどうかはわからないがギリギリセーフだったわけだ。

これ以上行ったら、恐らく職も失っていただろう。

それくらい精神が不安定だった。

ただパソコンの前に座るために会社へ行っていただけのような気がする。

 

 

『破壊から再生へ』という私のエッセイがある。

この本は私が約十二年ほど前に誰にも見せない日記として書いたものだ。

そこにこんな記述があった。

 

『自分が孤独な時、人々の顔は怪しく見える』

 

実はこれ、ジムモリソンがしょっちゅう言っていたことだ。

改めてこの一文を読んでこう思った。

私って皆の笑顔が歪んで見えるのは、孤独であるという証拠なのだろうと。

例えば、孤独感を抱いている時、人々は私を避けているように感じる。

これは今の職場でも頻繁に抱く感情だ。

もしかしたら私って嫌われているかも知れない、などと思う背景に潜んでいるものは孤独感だったりする。

愛を感じられる時は、全てのものが美しく見える。

そう考えると、心って蔑ろにしがちだが、とても大事なんだと思う。

十二年前のあの頃、私は職も住まいもないのに病を患ったりしてとても孤独だった。

今よりも遥かにヘビーな人生を歩んでいた。

しかし、その時に書き溜めた文章からは健全な人間の香りがする。

確かに寂しかったのだろうが、孤独な割にはオリジナリティに溢れ、生き生きとしている。

自分で言うのもなんだが、それほど稚拙さも感じない。

語彙が不足しているのは見て取れるが、かといって表現力は豊かである。

 

 

当時の友達は、ジムニーであり、ぬいぐるみであり、富士山であり、太平洋だった。

今の私からすると、頼もしくもある。

ただ変わっていないのは、職場の人と仲良くなりたい気持ちが強すぎるということだ。

読んでいて痛々しいと思うことも多々。

今は、同僚は友達ではないと言い聞かせているだけだ。

本心は、心の底から皆と仲良くしたいのである。

寂しさゆえ、ジムニーやぬいぐるみを友達としたのではない。

私は普遍的なものを求めているからだ。

 

『遠くの空を眺めている』

 

この表現を見た時、思わず苦笑いしてしまった。

これも今と変わっていないからだ。

どこかへ行って何かを掴みたいと願っている。

それなのにまるで堂々巡りをしているような虚無感。

何度壁にぶち当たっても希望を捨てない。

この世が空っぽなんて信じたくないのだろうな。