もしかしてもしかすると、私は密かに納得しているのかも知れない。
必要とし必要とされていること。
皆が何より理解者であるということ。
勿論私が真剣に書いてきたからだが、それ以上に真剣に読んでくれたからだ。
こういう関係って悪くなく、美学すら感じることができる。
だが、思うこともある。
『私が書くのをやめたら皆とはサヨナラなのか?』
これは一大事、絶対にサヨナラなんてあってはならないことだ。
だとしたら、私はやはり刀を振り翳す必要があるということなのか?
結局、やめられないのか?
別にやめたいわけではない。
書いて読んでもらうことはこの上なく楽しく、喜びであり、幸せなことだ。
なのに何故納得を手放そうとするのだろうか?
私はとある勉強会に参加し、自分を磨いている。
もしや、それがきっかけになっているのかも知れない。
そう、勉強会が始まった日から、私は酒を飲まなくなった。
タメ口女とちょっと飲んだだけで二日酔いになった程だ。
私って、何かが変わった。
ステージが変わった。
それは漠然と思っていたが、心の揺れみたいなものがピタッと止まった。
そして、覚悟みたいなものが芽生えた。
それは何かというと、乗り越えなければならないっていう覚悟だ。
胸の中に一つ信じるものがあれば、その先に誰もいなくても歩き続けられる。
はっきり言っておこう。
私が文句一つ言わずに会社に通うのは、社長と元ホストへの恩返しである。
自分のためではない。
何故、自分のために生きないのか?
義理堅く生きるのが自分のためなのだ。
私がなかなか件数上げられなかった時、元ホストが私を引っ張って社長に頭下げてくれた。
そして、社長はそんな私を直接雇用してくれた。
そのことが、たまらなく嬉しかった。
だから、私は片道一時間、十時間拘束が、苦痛ではないのだ。
私にできることは、労働すること。
もっと言うならば、職場の雰囲気作り。
そして、皆に会社を好きになってもらうこと。
一生とは言わないが、ある種の到達点まで私は続ける。
勘違い野郎の私くらいになると、周りを見て、皆が私に惚れていると思ってしまう。
きっと元ホストも私のことが好きだから、私を引き抜いたのだろう。
社長だって私のことを相当頼りにしているはず。
この幸せ、涙が出そう。
刀無しで、人間力だけで生きている喜び。
だから前にも言ったけど、私は圧倒的に自由。
終いには、満員電車に揺られることすら幸せなのである。
だって、自分が好きで働いているのだから。
ただ気をつけなきゃならないこともある。
私って、最初は全てが眩しく見えてしまうくせがある。
んで、慣れてきてからやっと欠点が見えたりする。
しかし、欠点の一つや二つ見えたからって、元ホストと社長への恩が消えるわけはない。
それにしてもさ、元ホストは私のことがどんどん、どんどん好きになるんだろうなぁ。
私を引き抜いてみて、私と同じ部署になってみて、私の魅力に吸い取られるように魂持って行かれてるんだろうな。