先日元一緒に働いていた女先輩と焼肉屋へ行った。
そして、カラオケ行って、零時頃ビジネスホテルにチェックインした。
焼肉屋はめちゃくちゃ美味しかった。
決して安くはないが、払えないほど高くもなく、カルビ、タン塩、ホルモン、冷麺を平らげた。
たまに食べる美味い肉は、幸せな気持ちにさせてくれた。
ただそれだけなら幸せなままでいられたのだが、そうは行かなかった。
どうでもいい話だが、タメ口ちゃんは最近元ホストに告白して振られたばかりだそうだ。
は?私って仲良くしていたつもりだが、タメ口ちゃんから一切聞いてないけど!
なんなのか知らんけど、人には根掘り葉掘り訊いてくるくせに、自分の話はしないんだ。
確かに同じ職場の私には言いづらいかも知れないが、ホストクラブなんて絶対付き合ってやんない!
もう知らん!
泊まりにも飲みにも行かないかも。
こちらが心を開いているのがまるで馬鹿みたい。
てか、タメ口ちゃん嘘ばっかりやん!
信じられないわ。
とはいえ、焼肉屋へ行った元女先輩もどこからどこまでが本当かわからない。
なんだよ、あぁ、くだらなすぎる。
この職場環境、くだらない。
阿呆らしくなってきて、もはや眼中にない皆とも距離を置きたくなって、ほとんど喋らないで帰ってきた。
私も私で、くだらない。
私には『疑う』と云う概念がないのかも知れない。
まず疑ってかかると云うことをしていれば、それほどのショックもないはずだ。
ところが痛い目に遭うまでどうやらわからないらしい。
そんな私のことを人がいいなんて言う人もいるが、大馬鹿野郎と言う人もいる。
私から言わせれば、ただの大馬鹿野郎でしかない。
だから今まで散々と騙されてきたのだろう。
ただ、私の偉いところは自分から騙そうとはしないところだ。
とはいえ、騙されてばかりいるのも問題だ。
それはそうと、私はこれから何を励みに仕事をすればいいのだろうかと考えた。
結局行きついたのは『生活』のためだった。
ただ生活のためだけに働くことは私にはできるのだろうか。
自分自身のために、惰性で生きることで生き生きと輝くことができるのだろうか。
『誰か』がいなくなった今こそが、試されているようにも思う。
職場へ行くのが嫌になったわけではない。
なぜなら、行かなければ全ては崩壊することがわかっているからだ。
それに今辞めたら自分を支えているものを投げ出すような気もする。
私と云う人間は、はっきり言えば人のためばかり生きていた。
人生におけるそのクセを直したいと思いながらも、これがまたなかなか直せないものだ。
やはり幼少時代の体験が色濃く残っているからだろう。
かつて母さんの愛を求めてピアノを死に物狂いにやったことは、私と云う人間を形成してしまったのだろう。
これはトラウマって云うのだろうか?
だとしたら抜け出さなきゃならないのではないだろうか?
本当にこれでもか、これでもかと人のために生きている。
まったく、どうしたものだか。
書くことに関してはどうなのだろうか。
最初は自分のためだったが、気づけば何時しか人のために書いているような気もしないでもない。
自分のクセを直せない限り、どれだけ転職したって結果は同じであることを私は知っている。
何をやろうが、どこへ行こうが、それは同じなのである。
だから私はもう少しこのままこの職場へ通う生活を続ける。
何を求めるでもなく、皆にもう期待することもなく、ただ生活のためだけに生きてみようと思う。
その先に何かあることも期待せず。
流されると決めるのも自分の確固たる意志である。
必要以上に尽くすこともせず、盛り上げ役になることもしない。
ただそこに存在しているだけで自己を肯定できるかやってみる。
こうして一皮剥けることだけを密かな楽しみとして。