nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

アウトプットはシャウト

ノルマに一歩及ばなかったが、四万円以上の売り上げを上げた。

それなのに達成感のかけらもない。

月末までラストスパートは、まだ終わっていないからだろう。

ゴキブリは上司からこっぴどく叱られたようだ。

ところがボロカスにやき入って終わり。

何ごともなかったように普通に仕事に戻っていた。

いやいや、クビじゃないんかい?!

もうね、考えると最高に腹が立つたので考えないことにした。

声が聞こえても、聞こえないふり。

視界に入っても見なかったふり。

モヤモヤしても気にしないふり。

そんなことをしていたらボロクソに疲れた。

もうタメ口ちゃんの隣の席も嫌や。

そして、ゴキブリに注意することしかできない上司にも腹が立って、右を見ても左を見ても、気が休まらなかった。

ところが、正義感など何の役にも立たないことを私は知っている。

もう、何もかも忘れることにした。

北千住駅のコンビニでレモンサワーを買うか迷ったが、帰ってやることも沢山あったので、買わなかった。

酒を飲んだからって何の解決にもならない。

唯一自分を救える方法があるとすれば、それはノルマ達成し、売り上げを上げることである。

営業職の行く末なんてそんなものだ。

 

 

ただ、私は会社全体を俯瞰的に見ることができる。

だから渦の中にいるようで、視野は外から眺めているのに似ている。

ぶっちゃけ、分かったことはただ一つ。

この会社の人で仲良くなれる人はいないってことだ。

それでも、表面上は普通に接し、誰のことも嫌わないことが重要だ。

それは自分に与えられた居場所に居心地の良さを感じるためのものでもある。

また、自分を楽な方に解放してやるための手段でもある。

捉え方次第で、目の前の状況は変わる。

それにしても、上司は私の気持ちはわかってないよなぁ。

私は私の正義感の話が少しでもわかる人と一緒なら、もう少しカリカリしないで済むのだが。

ノルマはここにいるための最低条件なだけで、生きる目的になってはならぬ。

目的を履き違えるから、ゴキブリみたいなヤツが、まるでゴキブリのように生育するのである。

 

 

かといって、ここまで書くと、書いたことで嫌なことを忘れることができるタイプなのが私である。

人間にはアウトプットすることでなかったことにできる忘却の力が備わっている。

自分が書いたことに不安を覚え、何度も読み返しては消したくなるようじゃまだまだ。

私くらいになると、ほぼ毎日一気書きして、読み返すこともない。

以前は自分の投稿に一喜一憂していたこともある。

ところが、そういう時期は通り越してしまった。

日々、千五百文字のシャウトを繰り返していると、自分が一体何を書いていたのかほとんど覚えていない。

アウトプットとはそうあるべきなのではないかと思ったりもする。

リアルに現実をインプットし、それを吐き出す作業。

それがルーティン化してしまうと、軽やかでリズミカルで楽に生きられるようになる気がする。

目的は明確だ。

アウトプットであり、シャウトだ。

書くことは手段であって目的ではない。

かといってマシンガントークになってはならない。

人から見られている意識は持ちながらも、それに振り回されない。

お陰様で、私は書くことによって随分と楽に生きられるようになった。

書き始めは多くを誤解されたりもしたが、もはや私を誤解する者もいなければ偏見の目で見る人もいない。

私のことが嫌いな人は寄り付かないだけかも知れないが、広い視野で世界を見た時、私を嫌う者なんて見当たらないのである。

何が言いたいかって自分を晒すことを怖がってはならない。

自分って云う存在はたかが知れている。

変に格好つけている方が、違和感を与える。

よし、ここまで吐けば、また仕事頑張れそうだ。