新しいパソコンを買った。
それなのにモニターが映らない。
苦戦すること二時間。
色々試してみたが、解決しそうもない。
この手のことに詳しい人で気軽に訊ける人は社長しかいない。
配線の写メを送ってみたが解決せず。
時間ばかり過ぎるので、隣の部屋のノートパソコンでこれを書いている。
なんだか今まであらゆることに憤りを感じては落胆してきた。
あまりにも疲労が抜けないのでかかりつけ医へ行ってみた。
「とてつもない疲労感に襲われているのです」
「食欲は?」
「普通以上にあると思います」
「寝れていますか?」
「はい、毎日六時間くらい」
「家では何をしているの?」
「パソコンやってます」
「じゃあ疲れててもいいじゃないの」
「いや、それじゃあ何のために病院へきたのかわからない」
「ヘルパー呼んだら?」
「え?ヘルパーさん?」
「日常生活が送れないなら」
絶句。
六年間も通って、これかよと思った。
ヘルパーさん呼んだら?って、本当に医者なのだろうか?
六年間も健気に通ったことが阿呆らしくなった。
憤りを感じ、落胆した。
結婚を機に埼玉県へ来て六年間。
一度の浮気もせず、この医師の元へ通い続けた私も愚か。
そうだ、池袋にかかりつけ医があった方が便利かも知れない。
たかが医者との別れが歴史の終わりを思わせる。
一つのことが終わると、あらゆることが終わり、新たに始まる。
もしかしたら、私って本当はもっと別の生き方があるのかも知れないと思ったりもする。
先日こんなことがあった。
新人の女性に対して、先輩と元ホストがこう言った。
「家で勉強するか、早く会社に来て勉強して」
「え?上司がそんなこと言ったら皆がそうしなきゃならなくなるじゃない」
「橋岡さんお金欲しくないの?」
「そりゃ欲しいさ」
「俺、給料沢山欲しいから、俺の給料上がるように貢献してよ」
絶句。
上司の給料に貢献するために、部下にサービス残業を強いる?
このことがあってから、実は私の疲労感は更に増した。
幸い仕事が終わってから、個人的に参加している勉強会があった。
コミュニケーションや在り方について学んでいる。
二時間の勉強会を終えて気づいたことがある。
二時間前まで底知れぬ疲労と闘っていたのに、軽やかになっていた。
恐らく、会社の人とは住む世界が違い過ぎるのだろう。
タメ口ちゃんが悪いわけではない。
先輩や元ホストが悪いわけでもないのだろう。
単純に、偉そうに言ってしまえば、人種が違うのである。
休憩中、ギャンブルやゲームの話になると、ポツンと置いて行かれることがある。
私の場合、年齢的にもそろそろ決めて行かなきゃならない。
寄り道はもう十分すぎるほどやってきた。
ここまで来たのに未だに頼る人がいない私は、はっきり言って究極の支えは自分なのだ。
当たり前のことを言うようだが、自分の何が支えになるかって?
最強なのは経験だと思っている。
そしてこの期に及んで苦手分野に挑戦し続ける精神力。
私ならやれるという根拠のない自信。
身軽さ。
責任感の強さ。
義理堅さ。
これだけ揃っている人がいたら、何でもできるはずだ。
私も何か始めようと思った。
簡単に言うならば、このままでいることは罪のような気がした。
私にできることの最たるものは、やはり書くことである。
それだけは自信を持って言える。
ここまで独学で、なりふり構わずやってきた。
このまま穴を掘り続ければダイヤモンドを発見するかも知れない。
遠回りしたが、やはり掘り続けるしかない。
汗水垂らして掘り続ける私も輝いているのかも知れないが、ダイヤモンドを手にした私はもっと光り輝くだろう。
孤高に生きるってこう云うことかも知れない。
よし、新たな歴史を始めることにしよう。