nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

マインドを鍛える!

やってしまった!

獲得件数0件!

前日早く寝て、眠眠打破を飲み、スーパーサイヤ人並みにパワー全開で挑んだにもかかわらず、まるでダメだった。

原因は幾つかある。

だがそれを並べても言い訳にしかならない。

実力なのかなぁ〜。

ただ、私には先週売り上げた九万六千円の記録がある。

それだけを励みに私は戦う。

実は、10日日曜日は早上がりなのだ。

なぜなら北海道から父さんが来るからだ。

北千住で二人で飲むことになっている。

久々といえば久々。

話すことは特にない。

 

「元気か?」

「元気だよ」

 

それだけである。

ただ、毎度のように仕事のことは訊かれる。

いつ、どこで、何の仕事をしていて、幾ら稼いでいるのかと。

週五で池袋に通って、海産物を売る電話営業をしていると。

そして一応訊いてみる。

 

「母さんは元気?」

「あぁ、元気だよ、相変わらずだ」

 

弟のことは極力訊かない。

元気に決まっているし、私にとっても弟にとっても、過去の人だからだ。

関係性は現在進行形ではない。

他人のようなものである。

 

 

ここぞとばかりに海産物が食べたい。

毎度思うのだが、父さんはかなり舌に肥えているので、北千住の居酒屋では満足しないようだ。

それはわかっていても、私は海産物が食べたい。

探してみるとするか。

 

 

そもそも、何もかもの原点は、親のようになりたくなかったことである。

今となっては親など元気でいてくりゃそれでいい。

ただ、反面教師にはなってくれた。

たまに思うことがある。

母さんのようになりたくないという気持ちは、いつしかあらゆることへのハングリー精神に変わった。

さらに人を見る目が養われ、終いには人の痛みが少しでもわかるようになった。

 

 

いや、果たしてそうだろうか。

大人になって赦すことを覚えただけなのかも知れない。

親は私がやって来たことを知らない。

今やっていることも知らない。

どれだけ稼いでいるかだけで、その仕事の『質』を判断しようとする。

その仕事の『価値』なんて考えちゃいない。

例えば、多くの方からこんなことを訊かれる。

 

『どうやったら毎日投稿できるの?』

 

それに対して私はどう答えるべきか考えることがある。

私から言わせれば、ただ毎日書いているだけである。

ただ、これだけは言える。

毎日書くということは、技術やノウハウではないということだ。

いかに自分の哲学を持っていて、マインドを鍛えているかによる。

自分哲学やマインドを伝えるには、ちょっとしたコツがあるだけのように思う。

ところが、技術やマインドを伝えるには、自分哲学やマインドを無視しては成立しない。

多くの人は技術やノウハウを知りたがる。

書くためのそれらを伝える人は五万といるかも知れない。

しかし、書くためのマインドを伝えてくれる人は少ないと思う。

でも私はそれを伝えることができる。

なぜなら、書き始める前から自分哲学を持っていたからだ。

どうしてかと云うと、物心ついた頃から居場所や自己実現について考えていたからだ。

そんな私は三十歳過ぎて、初めてパソコンに向かった時、ちゃんと書きたいものを持っていた。

当然のことながら、技術やノウハウなど誰からも教わっていない。

つまり、何度も言うが、マインドだけは鍛えられていたと云うことだ。

 

 

そう考えると私に対する関心を放棄した親には有り難いとさえ思ってしまうのだ。

子供の頃から自分哲学を持つ必要性に迫られていたからだ。

だから今、こうして誰かに頼ることなく文章が書けるのだと思う。

 

『父さんありがとう』

 

そんな照れ臭いことは言わないが。

 

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