nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

リミッターが外れたわけ

父さんに会って二時間で解散した。

その間に二軒はしごした。

一軒目は、父さんは沖縄料理の店に行こうと言った。

しかし定休日だった。

仕方がないので、沖縄料理の隣にあった居酒屋へ入った。

 

「仕事なにやっているんだ?」

「コールセンターで海産物売っているの」

「どこにあるんだ?」

「池袋」

「遠くないか?」

「めちゃくちゃ遠い、一時間以上かかるよ」

「会社名は?」

「なんで?」

「検索して調べるから。ボールペン持ってる?」

「なんで?」

「メモして調べて母さんに見せるから」

 

私はとても寂しい気持ちになった。

 

「母さんは元気?」

「元気だよ、しょっちゅう旅行してるよ」

「東京にも来ているの?」

「あぁ、アイツに二番目の子供ができたからね」

「母さんに連絡しても、そんなこと言わないのに」

 

どうしてだろう、と思った。

なぜ、父さんも母さんも弟に二番目の子供ができたことを報告しなかったのだろう。

そうか、やはりこの家族は私だけ家族ではないのだ。

一家離散なんかじゃない。

十六歳の時家出をした時点で、時は止まっているのだ。

私は私らしくもなく、カッとなってリミッターが外れた。

そしてああ言えばこう言うで、解散に至った。

 

 

私のことを知って欲しい、理解して欲しい、わかって欲しいなどとは微塵も思っていない。

しかし、人間のことを深く誤解していることは時として罪である。

私と弟が疎遠なのも、私に原因があると言っていた。

 

「アイツはお前のことを知っているんだよ。高校時代のお前を」

「は?高校時代?」

 

いやいや、高校時代ってまだ子供じゃないか。

子供を追いつめ、家出に追いやったのは誰だ?

リミッターが外れた私はこう言った。

 

「親の無関心、育児放棄に耐えられなかっただけだ」

 

そしてこう続けた。

 

「私が親の立場なら、全員集合をかけて、和解させようとする」

 

しかし、そんなことを久々の再会の場で言わなきゃならない事実が私の胸をグサリと突き刺し、落胆させた。

どんなにどんなに他人と思おうとしても、なかなかそうならない。

 

 

ちょっと飲みすぎたかなと思ったが、帰ってきてQPコーワゴールド錠剤を飲んだらだるさが消えた。

洗濯をしながらこれを書いている。

外れたリミッターは、家に一人でいると元に戻って行く。

しかし、内側から沸々と怒りみたいなものが込み上げてくる。

私にはやるしかないことがある。

コールセンターの営業職もそうだが、自分哲学を形にしたい。

以前にも書いたが、そろそろ集大成を迎えたい。

集大成を迎えたら何が変わるのだろうか?

ぶっちゃけると、私は長年人に雇われ、低賃金でこき使われてきた。

ボーナスもない安月給のくせに、何百万円の自己投資をしてきた。

それについては、高収入の人の投資より価値があると思っている。

苦労話だけじゃなく、自分を磨いてきたその全てを晒す時が来てもいいのでは?

むしろ、苦労話なんかより、そっちの方が需要があるかも知れない。

これはもう、挑戦するしかない。

なぜなら本当に心から頼れる人が私にはいない。

でも応援してくれる人は確実にいると思っている。

なぜ応援してくれるかって、私が挑戦する姿を見たいからだ。

もうね、やるしかないんだよ。

リミッター外れたから言っているのではない。

綺麗事などもう要らない。

寂しさも涙もへったくれもない。

自分哲学と、培ってきたマインドで、航海に出る。

サヨナラは運命をたぐり寄せるきっかけに過ぎない。

苦手分野を潰しながら、挑戦し続ける生き方を選択する。

もっと言うならば、自分だけを頼りに生きて行けるようになる。

激戦区で戦いながら、この足で生きれる姿を見せてやる。

もう、私には時間がない。

『蓮’sスクール』を作ることにする。