休みだった私だが、整骨院くらいしか予定がなかった。
百円ショップで食器を数枚買って、スーパーで赤ワインを買って帰宅した。
気温も高いことだしどこかへ行こうと思い本を持参したが、風が強すぎて歩くことを断念した。
赤ワインを飲みながらダラダラ過ごす気満々だが、まずはこれを書いてしまおう。
整骨院の後に蕎麦屋で親子丼を食べ、瓶ビールを一本飲んだらめちゃくちゃ酔った。
親子丼はまぁまぁ。
瓶ビールではなくハイボールにすれば良かったのに、夏日っていうのはどうも判断が狂う。
狂ったついでにドアーズを聴いている。
久々だ。
お香でも焚こうかな。
連休にやることが何もないからといって赤ワインを買ってくる辺り、なかなかのクズである。
村上春樹氏の新刊読めよ!
このまま行けば、どっぷりドアーズに浸かって、赤ワイン飲んで寝てしまい、結局読まないのだろうな。
たまに聴くと、オルガンの音とジムモリソンの声が脳に広がるようだ。
私の友達にはドアーズはイマイチだと言う人もいるが、音楽というものは愛着が全てだと思う。
私がスライダーズやミッシェルガンエレファントをいまだに聴くようなものだ。
なんせ、ドアーズとの出会いは中学時代だからな。
運命的出会いというのはこういうことを言うのだろう。
人生の中でもこんな出会いがあれば、迷いもなく結婚することだろう。
生活に困ったとか、そういうことではなく、この人と離れたくないからという理由でね。
ドアーズの『ライダーオンザストーム』が部屋中に大音量で流れている。
ドアーズの映画でも観たい気分だが、あれはヴァルキルマーであってジムモリソンではない。
なのに、ヴァルキルマーを見てジムモリソンのファンになったという人も多い。
全く、映画になるような人生だったら最高なのだろうが、それを生き抜くのはしんどかろう。
ドアーズの有名な曲に『親父を殺してお袋とやれ!』というワンフレーズがある。
この曲を知った時、私にも仲間がいたのだと思った。
両親の愛を知らずに育った若者の魂のシャウトだ。
両親を愛せないのは決して私だけではないのだと思い、どんなに救われたことか。
誤解のないように書いておくが、私は母さんを殺して父さんとやりたいなどと思ったことはない。
しかし、ジムモリソンは大学を卒業したばかりの青年だったのに対し、私はいい歳こいた中年女である。
いつまで青年文学のようなことを言っているのかと恥ずかしくなるが、たぶん一生この想いを引き摺って生きるのだろう。
また、ジムモリソンは幼少時代友達がなかなかできない転校生だったそうだ。
私は部屋に閉じこもることはなかったが、笑ったりはしゃいだりすることがない暗い子だった。
好奇心は旺盛で、様々なことに手を出してみたものの、つるむことはなかった。
それは子供だったからだと思っていたが、未だに変わらない。
部屋に一人ドアーズを聴きながら文章を書いていると、成長していない自分に気付く。
変わったことと云えば何だろう。
この一行を書いて手が止まってしまった。
子供の頃からプレッシャーには弱かったし、人間が大好きなようで苦手だったし、ロックを愛していたし、勉強が嫌いだった。
唯一変わったことと云えば。
やはり手が止まって先に進まない。
ニキビに悩んでいたし、酒が好きだったし、母さんを反面教師としていた。
人間ってそう簡単に変わらないものだとしたら、何故必死に成長しようとするのだろうか。
いやいや、努力不足だとは言われたくないけれど、努力の矛先が間違っている可能性はある。
部屋の中ではドアーズの『クリスタルシップ』が爆音で鳴っている。
絶望に浸りながら、赤ワインの蓋を開けることにしよう。
一人で過ごす休日なんてこんなもの。
しかし、これがある意味現実逃避。