nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

祖父母や先祖への誇り

最近ビックリすることがあった。

パン屋さんで労働をしている時、雑念が消えているということに気付いた。

仕事が始まる前は、今日は何を書こうかとか、今日も文章を書けるだろうかと云った不安みたいなものがよぎる。

しかし、制服に着替えて職場に辿り着いた瞬間、そのような不安や雑念は消える。

頭の中は、パン屋さんのこと一色になるのだ。

今日は上手に仕事ができるだろうか。

今日はモタモタ遅れを取らないだろうか。

今日はミスなく終えることができるだろうか。

そして黙々と作業をする。

始まりから終わりまで、一切の雑念が消えていることに気付いたのは最近のことだ。

勿論、不慣れだと云うのもある。

だけど頭と心が「空っぽ」になっているのは非常に良いことだとわかった。

何故なら人の話がすんなり入ってくる。

理解力が高まる。

そして午後からの自分の仕事にも身が入る。

 

実はモヤモヤしていることがあった。

人生の中で唯一引っ掛かっていた母親の問題が解消され、『ロックンローラー』も今秋に発売される。

すると、私は生きる目的がぼやけると云うことだ。

仕事は沢山あるのだが、そういうことを言っているのではない。

若すぎるかも知れないが、余生を生きることになるのだと確信した。

私はこの半生、武士道精神で生きてきた。

時には男のために、時には仕事のために、今では書くことのために身を削ってきた。

そして振り返ってみて一切の後悔はないという生き方をしてきた。

要は、その都度完全燃焼してきたという自負があるのだ。

この歳まで生きてみたが、私には守るものも失うものもない。

守るものも失うものも「敢えて」持たないように計算していたのかも知れない。

傷付ける人、待たせる人を作らないようにと。

武士のような概念を知らず知らずのうちに持っていたのかも知れない。

ただ、名誉心と云うものだけが私の中でしっくり来なかった。

名誉なんて要らないんですけど!

そう思っていた。

尊敬する何人かに話をしてみたが、しっくり来る答えが見つからなかった。

だけどそのうちの一人がこう言ってくれた。

 

「名誉とは誇りのことだ」

 

そのたった一言で、私は名誉と云うものを理解した。

私には祖父母に対する忠誠心みたいなものがある。

煌びやかで美しい祖母、貧しくて見た呉も悪くてみすぼらしい祖父。

モテモテだった祖母は、何故か冴えない男である祖父を選んだ。

そして心の底から愛し合って、三人の子供を授かった。

その次女が私の母親である。

祖父母は死ぬまでラブラブだったわけだ。

病気がちな祖母のために仕事を辞め看病に徹したが、祖母は帰らぬ人になってしまった。

しかし、祖母に見初められた祖父は大出世した。

祖母亡き後も、ずっと死ぬまで仕事人間だった。

そんな祖父母を私は理想に掲げ、人間とはこうあるべきだと思って生きてきた。

一つ悔いが残るとしたら、沖縄の祖父母の墓参りができていないことだ。

それこそ墓参りはできていないが、私の心の中には常に祖父母がいる。

そう、それは「誇り」なのだ。

琉球の血筋である誇り、祖父母の孫であるという誇り、それが名誉と謂うならば、私は胸を張って堂々と名誉を語ることができる。

 

私は「余生」の生き方を模索している。

やることはもう決まっている。

こうして文章を書き続け、編集や校正の仕事を命懸けで行う。

祖父の言葉を借りるならば、目の前にあることを一生懸命やる。

その暁には、新境地が見えてくるかも知れない。

 

具体的には、私は札幌にいた年数の方が長い。

沖縄にいたのは幼少時代のみだ。

しかし母親が沖縄の人だったので、よく沖縄を訪れた。

つまり魂は沖縄にあると言っても過言ではない。

でもそれは確実に私の誇りだ。

つまり名誉(誇り)を持っていることになる。

労働で頭を空っぽにして雑念を消したために、ここまで気付きを得ることができた。

私にとって労働は美学だとは、そういうことだ。

労働には意味がある。

さて、誇りを持ってこれからも働こう。