nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

誰のために生きている?

梅雨明け間近でジメジメして蒸し暑い。

通りで暑いと思ったら、急に大雨が降ったり。

今はリビングで冷風に当たりながらこれを書いている。

そんな中、むさくるしい話をしようと思う。

 

現代の世の中を見ていて疑問に思うことはないだろうか?

何でも「量」と「金額」に置き換えて考える世の中。

量より質、少数派でいい、などと考えている私みたいな人間は奇人変人なわけだ。

しかし、「量」と「金額」しか考えない世の中はもう終わりに向かっている。

何故ならその考えは、人類を押しつぶしているからだ。

 

現代人は神を信じることなど、もうできない。

神のためなら全てを捨てられるなんて人は、一人もいない。

だからこそ大事なのは、実は「武士道」である。

武士道には神がいないので、現代人にとってわかり易い。

 

「え?武士道って何?」

 

わかり易く謂うならば、善良な人が生きるために生み出した思想のこと。

あくまでも私は、武士道精神を重んじて生きている。

これまたわかり易く謂うならば、自分の幸福よりも他者の幸福を優先していると云うことだ。

現代人って云うのは、どうしても自分が幸福になりたがる。

 

「自分の人生は自分だけのもの、だから自分が幸せになりたい」と。

 

しかしだ。

本来幸せとは他者に対する概念なのだ。

自分を犠牲にして、他人の幸せを願う。

皆が幸せになるために、自分は不幸を取る。

それができるかどうか、理解できるかどうかが、今、問われているのだ。

多くの人は、何度この話をしても、やはり幸せになりたいと願うだろう。

 

ここでわかり易い例を挙げる。

県外者の派遣社員だった私は、正社員登用の話があっても断っていた。

何故なら、他の仲間達を先に正社員にした方がいいと考えたからだ。

県外者の私は、しゃしゃり出るべきではないと。

だから私は断り続けた。

そうして皆が正社員になれた。

そして初めて私は正社員登用の話を受け入れた。

何故なら、皆、幸せの形を掴んだと思って安堵したからだ。

 

みたいなことは、紛れもなく武士道精神。

自らの幸せを犠牲にして、他者の幸せを優先する。

皆が幸せになって、初めて自分のことに意識を向けられるようになる。

これは決していい人ぶっているわけではない。

武士道精神という言葉も知らない二十代の頃から、実践していたのだ。

 

逆に悪い例を挙げる。

それはマスメディアだ。

マスメディアは、幸福を売り物にして金儲けをしている代表の中の代表。

人の欠点をあげつらう、まるで悪魔だ。

だから私達はマスメディアなどに振り回されてはならない。

それなのに、多くの人がテレビの情報を「鵜呑み」にする。

何故なら、テレビを観て、自分が幸福になるための情報を得ようと思っているからだ。

結局多くの人は、やっぱり自分が幸せになりたいのだ。

自分が幸せにならなきゃ、自分の人生は無意味だと思っている。

 

昔は真逆だった。

自分を犠牲にして他人の愛を願う人が立派な人だと思われていた。

武士道精神などをわかっていても、自分の幸せを目の前にすると全て忘れるのが現代人。

やれやれ。

 

まぁ、この手の話は嫌われるに決まっている。

中には腹が立つ人もいるだろう。

だけど、これから大事なのは精神問題に限る。

愛とか、信頼とか、友情とか、目には見えないものを重んじること。

それに尽きる。

それならわかり易いだろ?

他者のために生きるとは、愛する人を幸せにすることに他ならない。

ただ、その愛する人は、自分を犠牲にしてまで尽くしてくれる姿を見てどう思うだろうか。

 

「アナタは自分のことをもっと大事にして頂戴!!!」

 

そうなるだろう。

しかし、武士道精神を理解するようになってから、私は尽くされても躊躇うことがなくなった。

 

「この人は武士道精神で生きているのね!」

 

そう思えばいいだけだ。

寧ろ、思いっきり武士道精神で生きて欲しい。

そして、こう思うのである。

 

「世の中、捨てたもんじゃない」と。