実を言うと、低迷期が続いていた。
勉強すればするほど、壁にぶち当たり、自分の運命を呪ったりしていた。
だけど、ここ最近になって闇が晴れた。
例えて謂うならば、宇宙エネルギーと私が一致したような感じだ。
これでいいんだと思えた。
母親とも和解することに成功した。
旦那のことも色々あるにせよ、自分にとって運命の人だったと受け入れることができた。
何故だろう。
たぶん、私の中で「譲る心」が芽生えたからだ。
意地なんてものは持っていても仕方がない。
私がそれを捨てることによって、丸く収まるのではないか。
それに気付いてしまったからだ。
きっかけはパン屋のバイト。
どうやら私は生き生きとしているらしい。
自分ではただ疲れていて、そんなことに気付かない。
ところがとある人にお会いして話をした時に、こう言われた。
「一ヶ月前の蓮さんと全然違う!生き生きしている!」
その方曰く、バイトは続けなさいと応援してくださった。
先日電話で話をした方も、同じようなことを言っていた。
こんな言葉がある。
「相手を変えることはできないが、自分は変えられる」
これはそこら中に転がっている言葉だけれども、その通りだ。
自分を変えることによって、相手は変わる。
私が言いたいのはそう云うことだ。
私はずっと、このまま忍耐するか、別れるかの二択で考えていた。
世の中の多くの方は結婚は忍耐だと言うだろう。
私はまだ結婚して三年だが、それでもずっと忍耐してきた。
しかし、勉強している内にこの言葉にぶつかった。
「宿命は受け入れなければならない」
旦那を愛せない私はこの言葉に深く傷付き、苦悩した。
ぶっちゃけ、こう思っていた。
こんな旦那のことを愛せるわけがない。。。
途方に暮れていたのである。
ところが、パン屋で働く私を見てからか、旦那が少しずつ家の手伝いをするようになった。
今までは、俺様だった。
「なんで俺がやらなきゃいけないの?一日中家にいるんだから、お前がやれよ!」
その調子だった。
しかし、バイトでクタクタに疲れて帰って来て、夜中までパソコンに向かう私を見ていて何か感じるものがあったのだろう。
やはり、私が何かを変えたことで、相手も何かが変わるんだ!
ウチの旦那は最初からモラハラで俺様だった。
だけど結婚してしまった。
私の中には、人生こんなはずじゃなかったという気持ちが強くあった。
幼い頃のヒステリーな母親と被る部分もあって、家庭運に恵まれないことを嘆いていた。
壁にぶつかればぶつかるほど、私が「譲る」しかない。
それしか逃げ道はないと感じた。
案の定、そうだった。
私は自分の居場所が居心地良ければそれに越したことはない。
ほんのちょっと意地を捨てて、「譲る」だけで、環境が良くなることがわかった。
家の手伝いをされたら私も許さないわけにはいかない。
単純すぎると怒られるかも知れないが、単純って云うのは性格だ。
都合よく嫌なことを水に流せることは、その人の持つ生きる力でもある。
何時までも嫌なことを引き摺っているのは、決して良いとは言えない。
ハッキリ言って、先のことなどわからない。
ケロっと来年辺り、再婚しているかも知れない。
しかし、一度は今の旦那と結婚する運命だったということは受け入れることができた。
運命だったから仕方がないのだ。
運命にぶつかって、それが良いとか悪いとか関係なく受け入れた。
それが私にとっての結婚だったというわけだ。
ちょっとした下らないことなのだが、大きなことでもある。
運命を受け入れることができて、晴れ晴れした気持ちだ。
バイトを始めて一ヶ月。
だだだだーっと、解決不可能な問題を解決できた。
私にできることは、自分のことは譲ること。
母親は母親として立て、旦那は旦那として立てる。
それしかないだろう。