nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

書く人のポリシー

毎日、今日は何を書こうかとあれこれ悩んでいる。

バラエティに富んだことを書きたいのだが、パン屋さんにバイトへ行く以外は殆どリビングにあるパソコンの前にいる。

若しくは、換気扇の下で煙草を吸いながら本を読んでいる。

実は、最近気付いたことがある。

プロやアマ関係なく、文章を書いている人は無料で公開したがらないということだ。

物書きさんと繋がりたいと思っていたが、私みたいに阿呆のようにズラズラと書いている人を見かけない。

電子書籍の販売をしている人もいれば、小説家になろうというサイトにアップしている人もいる。

勿論、書籍化している人もいる。

しかしSNSで文章を書いている人になかなか出会わない。

皆さん、それぞれの作品に付加価値を付けているということだろう。

それはそれで、良いと思う。

ただ、私の考えは違う。

私のモットーはこうだ。

 

「蓮さんの文章は身近であり、手軽であるべき」

 

何度も書いているかも知れないが、読者の日常に溶け込みたいのである。

SNSって、いい面も悪い面もあるが、私も利用者の一人として身近で手軽だと思う。

私の文章を好んでくれる人にとって、「いつも隣にある存在」でありたいと願っている。

私が毎日更新しているのを心配してくれる方もいる。

だけど、本人が好きでやっていることなので、一切の心配は要らない。

また、性格も関係している。

毎朝楽しみにしてくれている人が一人でもいるならば、ガッカリさせたくない気持ちが強い。

なんだかその人の一日のペースを崩してしまうような気持ちになる。

どうせ書かなかったことを後悔するくらいなら、無理してでも書いた方が幸せなのだ。

私ってそういう人。

 

これも何度も書いているが、私の心の支えは目には見えない読者の存在だ。

だからきっと楽しみにしてくれているだろうと信じたいのである。

自分で自分をそうやって励ましながら、一人黙々とパソコンに向かっている。

 

そんな私からすると疑問に思うことが多々ある。

本って云うのは、買ってみないと中身がわからない。

アマゾンの解説文にも限界がある。

読んでくれた人がいないとレビューも書いてもらえない。

だけど日々SNSで文章を書いていれば、ある程度の人がそれを読んで判断してくれる。

作者の人間性だったり、考え方だったリ。

私としては、SNSを活用しない手はないと思うのだが。

プライドと関係しているのであれば、ハッキリ言って要らないプライドだと思う。

もう名前が売れていて、出せば売れるという人は別だ。

そういう人はSNSなんてやっている暇があるなら、原稿を書いた方が金にもなるだろう。

しかし、よほどの人じゃない限り出せば売れるなんて時代ではないと思う。

お節介かも知れないが、勿体無いなと思ってしまう。

自分の世界観とか文体とか、気に入ってくれる人がいるかも知れないのに。

それとも私が間違っているのだろうか?

仮に間違っていたとしても、私は「身近で手軽」な楽しさを知っているから止めないけどね。

私のような行動は、自己満足だと思われかねない。

でも、これが違うんだな。

私の支えになってくれる人は読者。

読者のために生きることは、結局自分の成長に繋がる。

目に見えないものを信じることができる私は、実は無敵なのだ。

そう簡単に人にできることではないからだ。

つまり、自分を信頼する気持ちがあるからこそ出し惜しみせず、堂々としていられる。

本とSNSは、全く別ものだ。

SNSだけじゃなくて、本を読んでみたいんだ!という人もいる。

そういう人々には喜んで買って頂く。

私は知人の紹介などで本を買うことが多い。

だけど、たまには自分で発掘して見たいよな、と思う。

どうして物書きの人々はSNSを使わないのだろうか。

出し惜しみのような気がするんだけどな。