nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

人生の目的は?好きなことは?

色んな人がいるから意見は様々で当たり前なのだが、これだけは譲れないっていうものがある。

私は幼少時代から目の前にあることを全力で取り組んできた。

それこそ、体当たりだ。

手を抜くなんてことを一切せずに、全身全霊でその仕事を全うしてきた。

勿論、頭の中ではもっと自分に向いている仕事がしたいとか、この仕事をいつまで続ければいいのだろうとか、漠然と考えることはあった。

でも、やってやれないことはないと言い聞かせて仕事を選んだりしなかった。

与えられた仕事だけに取り組んできた。

すると、不思議なことにある時「書く」って云う仕事に辿りついた。

全然稼げなかったし、会社には一年間しか在籍していなかったけど、これは楽しいと思って今に至る。

かといって私には創造力と云うものが欠けている。

蓮さんは文章を書く才能があると思っている人が奇跡的に一人くらいいるかも知れない。

しかし、私は想像で物語を書く才能を持ち合せていない。

これは致命的だとも言える。

つまりブログは書けても小説は書けないということだ。

私小説なら書けるけど、私小説には限界がある。

何が言いたいかって、好きなことを運命の仕事にするのは非常に難しいということだ。

難しい話だし、哀しい話でもある。

でも、好きでもなんでもない仕事に運命がある場合の方が多い。

私は文章を書くことに全エネルギーを注いでいるのだが、少なくとも小説が書けるようになるには十年以上掛かるだろう。

 

結局、おかしな話で、副業のつもりで入ったパン屋さんの仕事が本職になってしまうかも知れないということだ。

もしそうなったら、私は全力でパン屋さんの仕事に取り組む覚悟だ。

でもこうやってSNSにアップすることは止めない。

何度も言っているが、私にとって最も大事な人は私の文章を読んでくれる人だからだ。

 

もっとぶっちゃけると、自分にはできそうもない小説を書くという作業が嫌いなのだと思う。

才能が無いということを自分でわかってしまっているからだ。

蓮さんの書く小説を読んでみたいと言ってくれる人は多数いらっしゃるのだが、『ロックンローラー』が最後かも知れない。

本気でそう思っている。

エッセイは書いて本にするかも知れない。

私はこう思うのだ。

書くということをルーティンにしてから数年経つが、謙遜じゃないが、私は作家にはなれないということが見えてきた。

作家にはなれないクセに、文章を書き続けるって滑稽だろう?

でも良くも悪くも、それが私なのかなとも思う。

じゃあ、私は何になれば良いんだ?

パン職人か?

パン職人になれば、時短ではなくフルタイム勤務が可能だ。

そうすれば、自分に自信も付くだろう。

だけど、なんか違くね?

 

私としてはパン屋さんの仕事を全うした先に運命の仕事に出会えるような気がしてならない。

とにかくそれを見つけたい。

だって余生を生きるということは、生かされる意味があるということだろ?

簡単に謂えば、何かしなきゃならないことがあるはずなのだ。

さっさと死んでしまいたいと思っている私だが、下手したらあと五十年間生きるかも知れない。

ウンザリだ。

でも生きるかも知れない。

人間って、簡単に死ねないらしい。

母親は言っていた。

ウチの家系は短命だから、好きなことしなさいと。

好きなことかぁ~。

書くこと以外に、好きなことないんだよなぁ~。

音楽は聴くし、本も読むけどさ、それは人生のテキストのようだもんな。

まさかとは思うが、私、腐ってきていないよな?

どうせ書くなら賞でも目指した方がいいのか?

ん~、それも違うよな。

でも、何かが足りない。

それが事実。

目には見えない読者のために文章を書き続けることは悲哀でもある。

それでも構わないと覚悟を決めた。

きっと全力疾走することはできても、目的が無いと人間はダメなんだろうな。

私の目的は『ロックンローラー』が無事に発売されること。

そこから先は、その時決める。

それじゃあ遅いのだろうか?