実は上野へ行っていた。
打ち合わせを兼ねて、私の話を色々聴いてもらっていたのだ。
上野は雨。
サンダルで行ったので、めちゃくちゃ歩きにくかった。
普段だったら寄り道をして帰るのに、直行直帰した。
何故なら、酒を飲んだら疲れるからだ。
朝起きるのも辛いし、酔った状態でこれを書くのも辛い。
翌日の仕事も辛くなることがわかりきっているので、控えた。
ただそれだけの話。
仕事用の靴下とマスクを買った。
最寄り駅に着いてから、スーパーへ行って仕事用のドリンクとハイボールを一本、焼鳥を買って帰宅した。
今までならハイボール一本だったら足りなかったけど、酒を飲まない方が熟睡できると知ってしまったのだ。
それ以来、深酒するのに抵抗を覚え、控えるようになったというわけだ。
最近あまり飲んでいないからか、ハイボール一本で眠たくなってしまった。
やれやれ、頑張って書こう。
世には少数派と呼ばれる人々がいる。
そういう人々は多くの反対意見を浴びながら成功を収めた人々だ。
もしくは、何一つ成功らしき成功を収めていなくとも、成功者と同じような考えを持って生きている人々のことを少数派と呼ぶのだと思う。
だとしたら私は少数派かも知れない。
今、自分で書いた『ロックンローラー』という小説をパラパラと読んでいた。
何かネタになるような気がしたからなのだが、やはりこのような小説が書けるのは少数派。
だが、少数派だけに評価してもらっては困るのだ。
多くの人に評価してもらわなくては、作品の存在は成立しない。
しかし、私は何の問題も感じていない。
人間って単純で、このような素晴らしい作品でも自費出版だから買わないのだ。
講談社なり、新潮社なり、それなりの出版社が『ロックンローラー』を買い取ってくれたらたちまちミリオンセラーになると思っている。
読み返してみたが、やはり最後は圧巻。
我ながら、本当に良質な小説だと思う。
初版は売れたが、もっともっともっともっと売れてもおかしくはない。
何度も言うが、これが幻冬舎から出したものだったとしたらどうだ?
いや、私が新人賞を獲得した作家だったらどうだ?
世の中は単純なのである。
無名であり自費出版にも拘わらず買って読んでくださった方々には深くお礼申し上げたい。
情報というものは、必要な人の元へ届くようにできている。
テレビにかじりついていなくとも、隅々まで新聞を読まなくとも、アンテナを張っていれば必ず自分にとって必要な情報は入ってくる。
小説『ロックンローラー』を手にした人々は、そういう人。
この小説を読む必要があったのだと思っている。
やたら読書家で上から目線で小馬鹿にしてきたヤツもいるが、じゃあアンタはこのような小説が書けるのかい?と問いたい。
「わーーーーって読んじゃって、携帯小説みたいだった!」
とかほざいている人もいたが、その人は自ら小説を深く読み解く力がないことをぬけぬけと宣言しているようなものだ。
ソイツは、きっと最初から私のことを見下してこの小説を手に取ったのだろう。
私はあらゆるジャンルの人々に読んで欲しいという想いから、解り易い小説を書いた。
読書をしない方も、活字が苦手な方にも親しんでもらえるように配慮した。
そういうことがわからないのであろう。
『破壊から再生へ』もそうだし、『ロックンローラー』もそうだが、非常に読みやすい文体になっている。
多くの作家先生が難しい文章を書きたがる中、私はどこまでも読者目線で書く。
そこには見栄もへったくれもない。
肝心なことは、読み切ってもらうこと。
そして、胸に響く内容であることだ。
だからこそ正々堂々と、皆さんにお薦めすることができる。
しかも、私が書くものは全て事実に基づいている。
完全なる作り話など、どこにもないわけだ。
そういったものが、これからの時代求められると思っている。