nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

善の行いを最優先

ちょっと落ち着いた。

たぶん母さんや仕事のパートナーと話ができたからだ。

そして気心知れた友達にも相談できた。

そんなこんなで、荒れ狂っていた心の傷口がかさぶたになり、完治に向かっているような感覚を覚えた。

ちょうど今、洗濯機を回しているところ。

その間に、これを書いてしまおう。

 

結局は本心で書き、本心で生きるしか術はないのだと思った。

友達曰く、「万人受けする人はこの世に一人もいない」ということ。

私はこの世は九十九対一だと思っている。

これはもう二十代の頃から考えていたこと。

二十代の頃、皆が皆、口を揃えて私を非難したことがあった。

しかし、頑なに自分を貫いていたら、トップに評価された。

それ見たことか!

私は心の中だけでガッツポーズをした。

戦に勝った気分だった。

誤解されないように書くが、勝ちたいと思っていたわけではない。

ただひたすら自分の行いに狂いはないと信じてそれを貫いていただけだ。

私は心の中に神様みたいな大いなる存在があって、それに従って善悪の判断を下してきた。

だからどんなにコテンパンに叩かれようが、自分が「善」だと思うことは貫いた。

それだけの強い意志が何故か私にはあった。

周りを見ながら人間とはこうあるべきだ、こうなってはお終いだ、などと常に考えていた。

そして、社会がこうなればいいのに、ああなればいいのにとも考えていた。

悪さをするヤツがいたら、消えればいいのにと思っていた。

優秀な人がいれば、もっと伸びればいいのにと思っていた。

ありとあらゆることを考えながら、私は一人、黙々と仕事に励んだ。

 

「蓮さんは間違っている!蓮さんがいるから皆、辞めて行くんだ!」

 

そんな声が飛び交うのを私は無視して、自分が信じる道を進んだ。

その結果、ちっぽけな頭で考えている通りに周りが変わって行った。

最初は大きな組織に見えたのだが、だんだんと狭い村社会に見えるようになり、私は姿を消すことにした。

 

何が言いたいかって、九十九人が間違っていることだってあるということ。

多数決では勝てなくても、最後に残るたった一人になれるかも知れないということ。

大切なのは、自分を信じるって云うこと。

自分を信頼してくれる人は、自分しかいないということを忘れてはならない。

私はそのように思う。

ほらね、ちょっと元気になってきたでしょう。

 

ついでに言うならば、私には私のキャパがある。

できることとできないことがある。

勿論、できることの幅を広げる努力はしている。

具体的に言うならば、こういうことだ。

パン屋のバイトに早く慣れて、帰宅してから休憩するのをやめて速攻で仕事に取り掛かるとか。

それによって、作業効率を上げようとか。

できることは、毎日こうして文章を書くこと。

できないことは山のようにある。

どれか一つをすれば、どれかが犠牲になる。

何故なら人間に与えられた時間は二十四時間と決まっているからだ。

夜、旦那の隣で読書をしようと試みたが、テレビがうるさくて集中できない。

一人の時間はなるべく執筆や編集に充てたい。

読書も仕事もしたい私が犠牲にしているものは、家事だ。

洗濯も週に一回。

掃除も週に一回。

夕飯はレトルトで済ませてしまうことも多々ある。

そんな自分を責めてしまうこともある。

だが、私にはキャパがあると開き直ることで、自責の念から解放されようとしている。

私が仕事最優先で生きる暁には、あの頃の私は間違っていなかったと思える「何か」に出会えることだろう。

無論、こうして書いている時間が私には必要なのだ。

掃除をしなくても生きて行けるが、書かなきゃ日々をリセットできない。

己をコントロールできなくなるだろう。

とにかく、「善」と思うことを最優先しようって話。

さて、洗濯物を干すか。

 

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