病院へ向かう際は曇っていたが、帰りは雨に降られた。
待合室は少々混雑していたが、待ち時間はさほど長くはなかった。
メールの返信をしていたら、あっという間に順番が回ってきた。
医師に、近況報告を済ませたら、こう言われた。
「ご主人と喧嘩をして落ち込んでいたのでしょう。そういう時は疑心暗鬼になり易いのです。だからご主人のことが気になって仕方がなかったのでしょう」
「はい、浮気されるのではないかと」
「考えても仕方のないことを考えるのではなく、信じることです。共依存なんて大袈裟なものじゃありませんよ!体調を崩し、疑心暗鬼になっただけです。気になるからといって、携帯電話を見たりしたらどんどん悪化します。そういうことだけはしませんよね?」
「したことはありません」
「とにかく貴女には、バイトも仕事もあって毎日忙しいはずです。バイトと家での仕事の両立を上手くこなして、もっと自分に自信を持つことです。疑心暗鬼になると、自分のことも相手のことも信じられなくて、人間不信に陥ってしまいます。とにかく考えても仕方のないことは考えず、信じて自分を保ってください」
「私って病気ですか?」
「いいえ、そんな大袈裟なものではありませんよ」
共依存でもなければ、病気でもなかった。
やれやれ、良かった、良かった。
やはり印象的だったのはこの言葉だ。
「自分のことも相手のことも信じられなくなって、人間不信に陥ってしまう」
そうなの、そうなの、そういうことなの。
自分のことも相手のことも見えなかったから、パニックになっていたのだ。
あれはいわゆる一つの恐怖だな。
あれから何日か経って、かなり精神的に落ち着いた。
特に服薬したわけではないので、時間という薬が解決してくれたんだと思う。
尚且つ、自分の中で解決するためにかなり深く考えた。
反省もした。
この医師とは三年間の付き合いになるが、物足りないと感じていたものの、今回は親身になってくれたので良かったと思った。
気分的にも落ち着いていて、寿司屋でも行こうかと思ったのだが、アルコール提供していないことを想い出し、直行直帰した。
帰宅したのはいいが、かなり寒くて落ち着かず、気付いたら夕方になってしまった。
それにしても、自分を見失ってはならない。
では何故、時として自分を見失うことがあるのか。
恐らく、想定外のことが起こるからだ。
それをどう処理していいのかわからなくなるからだ。
信じていた相手が見えなくなるのは、よくあること。
それでも自分を見失わないようにするには、日頃から自分と対話しておく必要があるってことか。
いやいや、私は毎日このような雑記を書き、精神を浄化しているはずなのだが。
今は落ち着いて、自分も相手も信頼できる。
ただこれだけは言える。
私は今回のことが起こるまで、旦那なんて消えていなくなればいいのにと思っていた。
ところが、私の中で化学反応が起こり、それは革命に変わった。
なんとまぁ、旦那に優しくしなくちゃという感情まで芽生えたのだから、結果オーライなんじゃね?
嫌で嫌でたまらなかった結婚生活が、無くてはならないものに変化したのだから。
ましてや、私は一人じゃ生きて行けないことも再認識した。
自分が悪かった点を認め、自分を変えようと努めることもできた。
良かったじゃん!
共依存とか依存って言う人も多々いるが、それはそれで受け止めて、そうならないように気を付けようって話。
まぁ、この状態がいつまで続くかわからないのが私。
私には感情や体調に波があるように、旦那には機嫌の波があるからだ。
だからしょっちゅう歯車が狂う。
これ、普通に書いているけど結構シンドイんだけどね。
人間不信に陥ってしまわないようにしなくちゃ。
人を疑ってかからないことだけが美徳な私なんだから。