nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

礼儀わきまえ

誰もが心に一つ、何かを信じて生きているのだと思う。

私の中には神なる存在がいないわけではない。

しかし、それ以上に自分という存在がいる。

私にとって神っていうのは、大いなるもの。

運命をも変えることができるものが、神だと思っている。

だから神に背くようなことをしたりすると、罰が当たると思っている。

私の場合は、それは法律じゃない。

時には、法律の外にある試練さえをも与えるのが神。

それを乗り越えた時、愛の招待状を受け取ることができる。

信じているポイントはここかな。

運命に逆らわず、時に法を犯したとしても、体当たりで受け入れる。

その結果、乗り越えた先には違う景色が待っている。

好奇心旺盛な私が欲しいものはそれだ!

違う景色。

今の生活に飽きたとか、嫌気が刺したとか、そういうことではない。

私の中にあるのは、達成感と開放感と導かれる快感である。

神からお許しを得て、GOサインが出た喜び。

何かを捨てるということは、心が痛むことでもある。

でも、私のことは誰にも止められない。

 

 

何故こんなことを書くか?

信じていた人がとんでもない勘違いを起こし、私を混乱の渦に巻き込んだからだ。

友達が私の知らないところで、全く関係ない私の大切な人とゴチャゴチャやっている。

筋、違くね?

私、そういうタイプ一番嫌いだ。

何してくれてんだか、両方とも大事な人だったからガッカリどころじゃないよ。

これだからSNSは嫌いなんだよ。

フォロワー=友達じゃない。

ソイツは元々誰の大切な人なのか、何故わきまえることができないのか?

ましてや、私の知らないところで繋がる必要性はどこにある?

あくまでも私なら、前置きをして丁寧に一言言うけどな?

いっそのこと、もっと具体的に言ってやろう。

 

「蓮さんのお仲間の○○さんにお会いしたいんですけど差し支えないですか?」

 

これが礼儀。

どっちから誘ったとか誘われたとかそういう問題じゃない。

からしたら、二人とも大事な人。

全く、ガッカリした。

礼儀の一つもわからんことに幻滅したのではない。

彼らにとって私はその程度の存在だったわけではないはずだ。

勿論、これに懲りずに彼らとはこれからもパートナーシップを持ってお付き合いさせて頂く。

たぶん勘違いから始まった話だろうが、勘違いする方には特に幻滅した。

「いいね」をもらったくらいで、自分は注目されていると勘違いしたようだ。

それは別にいい。

しかし、私に敬意を持っていたら、陰でコソコソ繋がることはない。

私が紹介したわけでもない。

むしろ、傷付く私がナイーブになり過ぎなのか?

会うとか、会わないとかの問題ではない。

 

 

誰とも気軽に簡単にお友達になれちゃうSNS

私の友人の中の一人が、匿名だらけのSNSに飽きてしまい、この世界から去って行ったばかりだ。

散々私も利用させて頂いて、そのお陰で仲間もできたのだが、順序とか礼儀はわきまえているつもりだ。

もはや、SNSには礼儀わきまえが存在しないのか?

私はハッキリ言って古臭い考え方の人間なんで、今回のようなノリには気持ちがついて行けない。

時代が違うんだと思う。

私はSNSを利用しているけれども、礼儀わきまえは重んじる。

身内でのことだったので、単にショックだっただけだ。

よくある話。

自分の友達同士が、自分の知らない内に仲良くなっているパターン。

気にしない人は気にしないのかも知れないけど、私だったらあり得ないというだけの話。

世の中、色んな考え方があるからなんとも言えない。

正解も不正解もない。

SNSの世界から身を引いた友人の気持ちが良くわかる。

しかし、私はこの世界に残ってまだまだ戦わなきゃならないのだ。

仕方がないから、今回のことは水に流すけどね。

私のこういう堅苦しい考え方がトラブルの原因なのだろうか?

私は何者でもないのだが。

 

 

 

12月15日(水)20時~

『蓮′sBar』

橋岡蓮バースデーライブ開催

インスタライブ配信

 

乞うご期待!!

もうカウントダウン!!