nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

残酷かな

旦那の誕生日だったので、トンカツと刺身を買ってきた。

そしてマフラーをプレゼントした。

私にできることはここまでだ。

祝い事はもう無いので、これが最後だ。

還暦祝いはしてあげられなかったが、その頃には誰かいい人を見つけて一緒になっていることだろう。

私にもいい人ができて、仲良く暮らしているだろう。

つまり、別々の道を歩むということだ。

母さんにも何度も聴いたが、別れた方が良いと言っていた。

私の仲間達もそれを望んでいるようだ。

中には、ちょっと待った!という人もいるのだが、それは私のことを心配してくれているからだろう。

私が笑っていられればそれで誰もが納得するのだ。

結果オーライだったね、と言ってもらえるように私は目の前にあることを一つ一つ頑張るのみだ。

それしか私にはできない。

 

 

昔、富山県高岡市に住んでいた頃一年ほど同棲していたことがある。

彼はバツイチだったが、子供が四人もいて、元妻に養育費を払っていた。

つまり、金がなかったのだ。

結局、私が頭金を払って借りたアパートに転がり込んだわけだ。

だから別れる時は、向こうが出て行く側になる。

行く先のない人を追い出すのは、半端じゃないエネルギーを使う。

車はあったとはいえ、車中泊させる勇気は私にはなかった。

だから転居先が決まるまで待つことにした。

それでもなかなか動こうとしないから、激怒して私は朝帰りを繰り返した。

そしたらようやくわかったようで、寮完備の勤め先を探してきた。

富山県魚津市っていうところだ。

最後の最後まで別れを渋っていたのに出て行ったら一度も連絡が来なかった。

その時は、私がいなくなったらこの人どうなってしまうのだろうと思っていたけれど、何の心配もなかった。

彼は、別れる時、私がプレゼントしたもの達を全て置いて行った。

そういうものなのだろうか?

少なくとも、ショックだった。

大事に使ってくれなくとも、私の知らないところで処分して欲しかった。

 

 

そんな過去があるので、ついつい旦那に当てはめてしまう。

今回は私が出て行く側だから、それほど旦那のことは心配していない。

とりあえず、家も仕事もあるから野垂れ死にすることはない。

ただやはり気になるのは心の問題だよな。

ケロっとしていたら、それはそれで安心なのだが。

しかし、多くの方から言われるように、旦那が可哀想だからとズルズル一緒にいるのも良くないと。

実はマフラー、良いものを買ってしまったのだ。

でも、幾ら旦那にも非があるとはいえ、私から出て行くことに変わりはない。

マフラー如き、捨てられてもどうでもいいじゃないか。

私がもっと強い女だったら、お互いに期待しない関係に耐えられただろう。

むしろ居心地がよく感じられたかも知れない。

 

 

だが、私は私に対して一途な人でなければ自分を保てない。

そう考えると、この離婚は私の方が悪いような気もしてくる。

もっと言うならば、私みたいな奇人変人ではなく、もっと普通の人だったら案外幸せに暮らして行けたかも知れない。

相手を一方的に責めるのは簡単なように見えるけど、実はそれって回りまわって自分を責めることにも繋がるように思う。

こういうものは、五分五分だからな。

私が百パー正しいとも言わんし、旦那が百パー悪いとも言わん。

ただ、こういうことが嫌だった、とか、こういうことされた時傷付いた、とか、それくらいのことは言おうとは思っている。

相手が聴く耳を持ってくれるかどうかは別にして。

一方的になってもいいからちゃんと言う。

 

 

結局、マフラーは気に入ってくれたのかどうかわからんけどね。

でも、一応プレゼントをもらって嬉しかっただろう。

やれやれ。

クリスマスは私は何も買わん。

晦日、正月とやり過ごそう。

残される方と、残す方と、どちらが辛いんだろうね?

非常に残酷なことのように感じている。