nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

一から十まで

朝から何事かと思ったら、父さんから電話だった。

なんやら母さんから全部聞いたとのことで、一から十まで質問攻めだった。

まぁ、会話のない夫婦間で私のことが話題になったことには安堵したのだが。

だが、たった十五分の電話で私は十年前と何も変わっていないことに気付いてしまった。

というのも、私は十六歳頃家を出たきり、ハチャメチャな人生を歩んできた。

つまり、両親からの信用というものが皆無なのだ。

どれだけ私が真っ当に生きていても、互いに裏切り続けた過去は消せない。

両親は私のことなど何もわかっちゃいない。

同じように、私も両親の気持ちを察してやれない。

ただ、想像はできる。

単純に心配しているだけなのだ。

重々承知の上だが、全てにおいて疑いの眼差しで来られると痛感するのである。

相変わらず、信用されていないのだと。

 

 

親子って、一から十まで説明して、納得させなきゃいけないものなの?

私はある程度放っておかれたい。

 

「まぁ、あの子ならなんとか上手くやるでしょう」

 

くらい大らかでも良くね?

先にも述べたが、確かに私はハチャメチャやってきた。

とはいえ、私は自分に正直に生きて社会と闘ってきただけに過ぎない。

勿論、社会の中には「家族」も含まれる。

からしたら両親は反面教師。

ぶっちゃけ、両親のようにだけはなりたくないというのが、そのままハングリー精神に繋がった。

子供の頃から、あぁなってはならない、こうなってはならないとよく観察していたものだ。

そのため、敬意はあまりないが「愛」ならある。

自分の子供を信用できない出来損ないの両親だが、私への愛は少なからず感じている。

私に幸せになって欲しいからこそ、ガミガミと疑ってかかってくることを知っている。

私が親なら、自分の子供をまず信じてあげるような気がしてならない。

ましてや、私は自分の仕事に関して、ちゃちゃを入れられたくない。

第一、私は自由に伸び伸びと表現したい。

誰に見られようと、私は変わらず書き続けるのだが。

 

 

両親とは再会を果たして、最初は生きていてくれただけで良かったと思っていたはずだ。

しかし、私も昔から変わらないように、両親だって変わりようがないのだ。

距離を置いておかないと、以前のように爆発するだろう。

両親からしたら、私が札幌に帰ってくることを望んでいるようだが、私は今更両親とは一緒に暮らせない。

こちらに仕事があるのに、わざわざ札幌へ引っ越すのは最終手段でしかない。

独立自尊で生きている私が、どう考えても窮屈な実家に頭を下げて住まわせてもらうのは嫌だ。

それなら貧乏でも構わないから、親と離れたところで生活していたい。

よほどロックンローラー的かつ無頼な生き方を理解している人でなければ、私と生活するのは難しいだろう。

普段は大人しいのだが、行動が早すぎて着いてこれないようだ。

そりゃそうだろう。

 

 

とはいうものの、私は両親の幸せを心から願っている。

それは、向こうも同じなのだ。

そこで考えた結論は、やはり「距離」だ。

安否確認はいつでも取れる状態にしておきながらも、電話を控えることにした。

まぁ、そうすると何でも事後報告になってしまう。

私はいちいち母さんに相談しなければ動けないタイプではない。

いざ相談しようとしたら、仲間はなんぼでもいる。

一番親身になってくれるし、良き理解者でもあると思っていたが、だからといって一から十まではきついよな。

 

 

そんなこんなで非常に苛立っていたのだが、服薬して一時間ほど寝てとある人に話を聴いてもらったら落ち着いた。

 

「いつかわかるか、自分で知るか」

 

そう言われた。

深い意味なのか、それともそのまま受け入れていいのだろうか。

だけど、ウチの家族は大人げないが「言った、言わない」で揉めることが多い。

だから沢山手紙を書いたが、伝わっていないようだ。

夫婦は別れられるけど、親子は死んでも親子だからね。

不器用同士は、困ったものだ。